茨城県大洗海岸、過去最大規模の花火大会:

9月27日、大洗町誕生70周年の記念行事として3時からインパルス展示飛行と6時から90分間18 千発の花火大会が行われた。

当日は空の状態は打ち上げに最高の状態、花火の輪郭がクリアだ。芸術的なデザインと可愛い色彩、豪華な見せ場が幾つもあった。

最後はクィーンの”Show must go on”の曲に乗った視界以上の長い海上の眩しい花火がこれでもか、これでもかと打ちあがり、永遠に続くような別世界。口を開く人もなく、近くの観客は全員息をのんだ。後で、生きていてよかった、涙が出てきた、との感想が聞かれた。

ニッポン丸と開会直前の観覧席

大洗海岸 9/27/2025

閉幕間近の大阪万博に挑戦

9月18日木曜日、大阪万博会場に向かった。
横浜から新大阪まで新幹線を利用し、現地に8時間滞在の日帰りツアーだ。体力的に高齢者にとって大きなチャレンジです。

パビリオンの予約はアクセス数が多すぎて一つも取れない。とりあえず大屋根リングを一周する。あとの行動はノープラン、感覚で会場を歩いた。

西ゲート近くの大屋根リング

 

大屋根リングの歩道と花壇

 

初めに大屋根リングの上から会場を一周した。地上は蒸し暑いが、屋根の上はやや強風で汗を乾かしてくれる。

小さな花壇の手入れもよく、緑と海とパビリオンの建築物を楽しめた。道のりは2キロ、1時間で回った。

みゃくみゃくは様々に形を変えるマスコット

 

9月に入り、連日20万人越え。

 

この日の来場者数は過去最高の23万人。
どこも人が多すぎて万博狂想曲、来場者は忍耐強い。車椅子利用の高齢者や子供も思いのほか多かった。私と同じく猛暑の中、会場の雰囲気を感じに来たのだろう。

日本の55年振りの万博。
多くの人が参加協力して予想以上に盛り上げたと思う。

石破総理の辞職会見に力が抜けた

9月7日日曜日午後6時、石破さんは無念の思いで辞職を突然国民に伝えた。

理由として、8日月曜日の自民党員の全国選挙で、名前明記をすることなどで考えられる内部の分裂を避けたい、と言う。

皆既月食、2:50am

その日の夜中、2時過ぎに目が覚め、皆既月食が観察できることを思い出した。それから30分くらいシャッターを切りつつ、望遠鏡を覗いた。地球の影が少しづつ月面にかかるのが良く見えた。

知人のスマホ撮影、同刻頃

石破さんには自民党が今も分裂している党内がさらに分裂しても最後まで頑張ってほしかった。政治空白は石破さんは作っていない、対外国・対米の一年間の石破さんは外交努力を続けた。今回の動きは日本の政局の不安定さを再び印象づけ、間接的な経済効果にも好ましくない影響大に違いない。

足元しか見ない今の自民党内部の抵抗勢力。応援する国民の希望が急速にしぼんだ。

東京国立近代美術館ー戦争画の企画展を訪ねた

9月4日木曜日、やっと酷暑が和らぎ、曇り空になった。竹橋の近代美術館の企画展にて藤田嗣治の戦争中に描いた大作5点を鑑賞する。想像はしていたが、あまりの画力に魂が揺さぶられた。

ノモンハンの戦闘、1941

日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件。4メートルを超えるキャンパスに部下の鎮魂を願う予備役中将の依頼に藤田は答えた。名作として知られている。

シンガポール最後の日 (部分) 1942

シンガポール、ブキ・テマ高原の占領を描いた。陥落直前の市街地から煙が立ち上がる。画面左上から陽光が市街地を明るく照らしている。

Soldiers Rescuing Indonesian Civilians, 1944

オランダ人邸宅に日本兵が踏み込む瞬間を描いた。
テーブルの下に猫が隠れている。

テーブルの下の猫 (拡大図)
サイパン島同胞臣節を全う 1945

サイパン島で多くの住民はマッピ岬へ追い詰められ、バンザイと叫びながら、海に身を投げた。今はバンザイクリフと呼ばれる。多くの犠牲者は沖縄県出身の移民。藤田はこの集団自決をヨーロッパの宗教画のごとく描いた。

藤田嗣治の戦争画の大作は東京国立近代美術館に無期限貸与されている。企画展は10月26日で終了するが、その後も常設展で見ることができる。

勝沼市、大日影トンネル遊歩道の周辺

8月23日土曜日、横浜出発のバス日帰りツアーに参加した。
約12時間で山梨県をまわり、旬のぶどう狩りにも参加した。
山梨県は日照時間が全国でも長く、フルーツ王国だ。

甲州市、勝沼町等々力
ぶどう狩りの会場入り口

気温は照り返しもあり、体温越えの暑さだった。葡萄食べ放題は実が大きく甘いので30分間で半房がやっとだった。

大日影トンネル遊歩道内

勝沼ぶどう郷駅近くの大日影トンネル遊歩道は、自然の冷気で参加者全員生き返った。
片道1.5キロ、往復すると40分かかる。

平成9年まで中央本線で使っていたトンネル。修繕工事終了後、2024年3月に再開し、個人のワインを預かるカーヴもあるくらい、クーラーになっている。

中央本線旧大日影トンネル
貫通1902年〰︎ 廃止1997年
レンガ積みの河川隧道、
1968迄勝沼駅の終点地点

昔のレンガ職人技法が見られるレトロな隧道はアート作品だ。トンネル内のタイル貼りの天井もすてきだ。

大日影トンネル天井タイル貼り

戦後80年、節目の終戦記念日

今年の8月は例年より多く、当時の生き延びた証言者のリアルな体験談、記録の品々が公開されている気がする。NHKや民間テレビ局もドキュメンタリーを新しく制作更新し、反省や今まで目立たなかった当時の政策への反発の論調も全面に強く感じる。

知覧平和記念館の玄関、2023年1月
零戦闘機の形に刈り込まれた松

2023年の1月、鹿児島の知覧平和記念館を訪れる機会があった。まだ10代の特攻員たち、墨で書かれた目の醒めるような美しい書体、文面……。

純粋な想いの手紙が数多く展示されている。なんと多くの大切な可能性を持つ青年たちが消えていったことか。彼らの遺書、最後の手紙やはがきから訴えるものは、今思い出しても強力だった。

ことしの報道では、当時の大本営は若き選ばれた優秀な特攻隊員の気持ちまでも利用して、広く国民に戦意高揚を演出したことを堂々と解説していた。

多くの犠牲者のおかげで、不戦80年の今日の日本に感謝感激するのみだ。

将来、日本が巻き込まれそうな戦争の火種は、官民協力して全力で消そう。

佐原、小江戸風情が残る町

香取神宮からバスで10分走ると、香取市佐原の歴史が残る町並みがある。このあたりは、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

古いl酒造、醤油屋、漢方のお店。サワラから利根川を渡ると茨城県水郷地帯に隣接しており、舟運搬が盛んな村だった。

伊能忠敬旧宅も偶然見つけた。小野川の舟乗り場の前だ。土地測定器なども展示されている。

通称ジャージャー橋、さわら

家の近くに江戸初期、灌漑用水に使っていたジャージャー橋(樋橋トヨハシ)がある。ちょうど通りかかった時に、ジャージャーと流水が始まった。真夏の涼しい光景が急にとび込んできた。

香取神宮の森、千葉県

香取神宮は、1700年徳川幕府に伊勢神宮古材で造営された。重要文化財に指定されている。本殿は黒漆喰を基調に金色の金具装飾が個性的だ。現在工事中で2026年の大祭に完成予定だ。

入り口のブルーシートの上にかっこう良い三毛猫が毛づくろいしていた。声をかけるとポーズをしてくれた。

香取神社、参道の神社ネコ
香取神宮、7/24/2025

 

香取神宮、表参道

 

総門、香取神宮

 

香取神宮本殿改修中

駐車場近くから始まる参道商店食堂で、焼き団子と地産地消のガーデンサラダを頂いた。安くて美味しい野菜をたくさん味わった。ジョッキーの冷やし甘酒は次回に試したい。

鹿島神宮の森散策、茨城県

7月24日木曜日、暑中の神社お参りに挑む。横浜駅からバスで90分。神社の境内は歩きやすく、炎天下でも樹々がつくる木陰が続いていた。

鹿島神宮、本殿

現在の本殿は1619年、二代将軍徳川秀忠公により御奉納された。

鹿島神宮、奥宮

1605年、現在の奥宮は徳川家康公が本殿として御奉納された。その後、元和の造営の際に、奥宮として移された。

鹿園のバンビ、ニホンジカ

暑い日は小屋の中に避難している鹿たち、バンビがこちらに寄ってきてくれた。小屋から親らしき鹿がのぞいている。

御手洗池、鹿島神宮の森

池の近くには売店食堂がある。御手洗池の横で1日400キロリットル以上の清水が湧いており、容器に持ち帰ることができる。暑い。今年初めての宇治金時のかき氷をいただいた。

モンキアゲハ、御手洗池
モンキアゲハ 鹿島神宮

池近くで突然大型のアゲハチョウがヒラヒラと私の周りを回ってきた。ビデオで撮ると、着地した所で、地面から水を吸い、胴から流しているのが見えた。うっそうとした木陰、青い池の近くで、舞う黒い蝶。

幽玄の世界だった。

藤田嗣治:絵画と写真 @東京ステーションギャラリー

7月18日金曜日、酷暑の梅雨がやっと明けてくれた。
東京駅隣接の美術館、炎天下を避けてアクセスできるのがありがたい。

今回の展覧会でレオナール・藤田の生涯を辿ることができた。1886年から1968年、81年間、波乱の人生を生き抜いた。今もそのファッションがやセンスが新鮮な芸術家、国際人であることがよくわかった。

2011年、生前の多くの日記写真などの6000点の資料は、家族から寄贈され、今も母校芸大で研究されている。もっと多くの作品に触れたい。

自画像 1929 東京国立近代美術館

愛猫のキジトラ、硯と面相筆、日本を感じさせるアトリエの様子。深いグリーン色のシャツの着こなしにも注目した。

猫を抱く少女 1949 、個人蔵
マドンナ 1963 、 ランス美術館

1959年、藤田は妻の堀内君代とノートルダム大聖堂でカトリックの洗礼を受けた。君代は藤田の没後、広報にて作品を広め98歳まで生きた。
夫婦の遺骨はランスの藤田が設計したフジタ礼拝堂に埋葬されている。

フルール河岸、ノートルダム 1963

※ ノートルダム大聖堂の塔が作品左上に見える。

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