東京国立近代美術館ー戦争画の企画展を訪ねた

9月4日木曜日、やっと酷暑が和らぎ、曇り空になった。竹橋の近代美術館の企画展にて藤田嗣治の戦争中に描いた大作5点を鑑賞する。想像はしていたが、あまりの画力に魂が揺さぶられた。

ノモンハンの戦闘、1941

日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件。4メートルを超えるキャンパスに部下の鎮魂を願う予備役中将の依頼に藤田は答えた。名作として知られている。

シンガポール最後の日 (部分) 1942

シンガポール、ブキ・テマ高原の占領を描いた。陥落直前の市街地から煙が立ち上がる。画面左上から陽光が市街地を明るく照らしている。

Soldiers Rescuing Indonesian Civilians, 1944

オランダ人邸宅に日本兵が踏み込む瞬間を描いた。
テーブルの下に猫が隠れている。

テーブルの下の猫 (拡大図)
サイパン島同胞臣節を全う 1945

サイパン島で多くの住民はマッピ岬へ追い詰められ、バンザイと叫びながら、海に身を投げた。今はバンザイクリフと呼ばれる。多くの犠牲者は沖縄県出身の移民。藤田はこの集団自決をヨーロッパの宗教画のごとく描いた。

藤田嗣治の戦争画の大作は東京国立近代美術館に無期限貸与されている。企画展は10月26日で終了するが、その後も常設展で見ることができる。

藤田嗣治:絵画と写真 @東京ステーションギャラリー

7月18日金曜日、酷暑の梅雨がやっと明けてくれた。
東京駅隣接の美術館、炎天下を避けてアクセスできるのがありがたい。

今回の展覧会でレオナール・藤田の生涯を辿ることができた。1886年から1968年、81年間、波乱の人生を生き抜いた。今もそのファッションがやセンスが新鮮な芸術家、国際人であることがよくわかった。

2011年、生前の多くの日記写真などの6000点の資料は、家族から寄贈され、今も母校芸大で研究されている。もっと多くの作品に触れたい。

自画像 1929 東京国立近代美術館

愛猫のキジトラ、硯と面相筆、日本を感じさせるアトリエの様子。深いグリーン色のシャツの着こなしにも注目した。

猫を抱く少女 1949 、個人蔵
マドンナ 1963 、 ランス美術館

1959年、藤田は妻の堀内君代とノートルダム大聖堂でカトリックの洗礼を受けた。君代は藤田の没後、広報にて作品を広め98歳まで生きた。
夫婦の遺骨はランスの藤田が設計したフジタ礼拝堂に埋葬されている。

フルール河岸、ノートルダム 1963

※ ノートルダム大聖堂の塔が作品左上に見える。

Translate »