座右の銘と自分の名前

たくさんのことばが世の中にあふれています。以前は良いことばは残りやすく、無駄なことばは残りにくかった。インターネットの時代になってから、ことばの洪水ゆえ、逆に玉石やエッセンスが詰まったことばは見つけにくくなりました。人々は検索を重ねますが、自分にとって最良の良いことばを大事にし、さらに深めることがしにくい環境にあります。

しかし、良いことばに出会えば、それは一生かかって深く、より深く理解し、多くのことを教えてくれます。たくさんのことばを借りなくても、人生に必要なことばを自分の中に納めることができます。

本を読み、体験話を聞き、知識を深めることは人生を豊かにします。一方、書物に親しまない人々の方は多く、字を読めない人々も多い世界。それでも良いことばに出会えた人は、豊かな精神で人生を送ることができます。

ことばにはパワーがあります。もっとも多く耳にし、目にすることばは自分の名前です。何の疑問もなく、自分の名前を使い、使ってもらっています。名前の由来を両親が考えている場合が多いでしょう。憧れの人、尊敬する人の名前を我が子につけたり、音がいいからという理由もあります。名前は受け身でもらうものですが、自分の一部でもっとも自分を表し、影響を受けることば、文字、音です。

自分の名前が気に入らない人もいるかもしれません。どうしても受け入れたくない人は裁判所で改名してもらう道もあります。いったん自分の名前を受け入れたら、その名前に自分で意味付けしてみましょう。自分で決めるのです。しかも最大限、自分が望む幸福な解釈をつけてみる。自主的に自分の人生を創っていくことです。まずは名前。名前を大事にしましょう。一つ一つの文字の力が名前に力を与え、その人物に影響し、望むように導くでしょう。

ことばの力は、自分の名前というこの短い固有名詞からも感じられるのです。

砂糖と脳

砂糖の摂取量が増えているそうです。

肥満は現代病ですから、砂糖の多くは人間の体に蓄積されているのでしょうか。砂糖が製造され、大部分は人間の栄養になっています。砂糖なくして人間の知的活動は成り立たないでしょう。

砂糖は脳の栄養と言われています。ブドウ糖のみが脳のエネルギー源になると言われています。その多くは左脳で使われているという学説。右脳より左脳が活発だと説明されています。砂糖は左脳へ流れる、食物や間食を通して人体に入った砂糖は脳に2割、あとは全身で使われます。インシュリンの働きが不足している人は尿から体外へ排出されることもあります。

近頃は砂糖は、健康上よくない、とり過ぎはよくないと言われていますが、現代の知的生活に一役かっているのが砂糖です。砂糖なくして知的産物は期待できないでしょう。砂糖は白色だったり、茶系色だったりしますが、口に入る前に水に溶かすと容易にに液体になります。水や湯に溶ける性質があります。水または他の液体と混ぜて摂取する材料です。大きく分けると調味料です。調味料は食材に味をつける役割なので多量に入れることはまれですが、その中で砂糖は多量に入れる調味料やお菓子の材料です。まったく砂糖を摂取しないことは不可能です。

砂糖はサトウキビから作られます。稲や小麦と同じグループで植物から収穫されます。植物は自然の恵みですから、人間との相性は基本的にはよくなじむものです。砂糖と仲良くつき合えば、多くの成人病の原因とならないで済むかもしれません。

脳は砂糖を多く受け入れている。この事実からわかることが二つあります。ひとつは、「脳は特に左脳は、砂糖が好物である。」二つ目は「砂糖は液体に形を変えて脳になじむ。」体をコントロールする大事な脳は、酸素と栄養なくしては働かない。しかし脳を働かせるのは簡単です。そして働いたあとは、何かを産み出し、行動を決め、物を創り出します。

脳の産物は栄養である砂糖の産物であり、植物の恵みから来ています。

植物が今ある世界をつくっているとも言えるのです。

砂糖の働きに今一度、敬意を払いたいと思います。

写真について思うこと

写真の好きな人とそうでない人がいます。写真に関心がない人もいます。

写真を好まない人でも、記念写真と医療写真、証明書などの顔写真は逃げられません。つい緊張の表情になってしまうでしょう。しかしまじめな写真です。真剣な顔、本気の顔です。笑顔の写真は見る人を和ませ、楽しい気持ちも伝わります。その人の一面です。時に笑顔は本気の顔を隠してしまうことがあります。

写真は現在の姿を写すが、それを見るときは必ず過去の姿です。当たり前の話です。それで記念写真となったり、思い出の写真になったり、成長の記録となるのですから。つまり、まったく同時の写真を見ることはできません。その一瞬は再び再現することはできません。時間は進んでいます。

ふつうの人は自分の過去の写真を見ると、若かったなぁとか、痩せていたなあとか、あの頃は楽しかった、つらかったなどの感想を持ちます。その写真の効用は単に記録、思い出とするだけではなく、他にも活用できます。

もし写真の中の自分が正面を向いており、その視線が自分の目とあったら。しばし過去の自分と向き合ってみてはいかがでしょう。そして向き合うだけではなく、過去の自分からのメッセージをくみ取るように見つめてみましょう。

ただの写真の中の自分がよみがえって、何らかの思いが必ず湧いてきます。それは現在の自分を知るメッセージになるかもしれません。

過去も現在に生きて、力を与えてくれます。

カコ、力(ちから)ココニアリ。

お辞儀

お辞儀する習慣は、スポーツ界、商業関係には伝統として残っているが、一般的には少なくなっています。お辞儀の習慣を自分がするのは気恥ずかしいと思う人も多いでしょう。

しかし、自分がお辞儀をされたらどう感じるでしょうか? お辞儀をされて怒る人はいません。

お辞儀のある風景を見るのも、心が和むものです。たとえば動物がお辞儀し合ったら、私たちはほほえむか、声に出して笑うでしょう。そして礼儀正しい、と感心するでしょう。お辞儀は相手を敬い、自分がへり下っていることを示すとてもよい表現です。

お辞儀の習慣のない外国人がお辞儀を真似すると、板についていないことがままある。お辞儀は股関節から曲げ、ゆっくりとくの字にしていきます。首は背骨の延長線に保ち、視線は下方へ向けます。手は力を入れ過ぎると、相手に緊張を与えるので、ゆったりと前に組むか、側面に置くと力を抜くことができます。

最近の傾向として、首だけ何度か前後に振る人が多くなりました。何でも簡略化する傾向にあるので、お辞儀も簡略化されてきたのでしょうか。お辞儀は日本の伝統的な型なので、早過ぎず、ゆったりときれいな形が望ましいです。

相手に敬意を表したいとき、適当な言葉が見つからない時、お辞儀すれば、間違いなく自分の気持ちを伝えることができます。しかも上手なお辞儀でなくても許されます。お辞儀に失敗はありません。

とっておきの表現として、鏡など使って日頃から練習しておくと安心です。背筋を伸ばす訓練にもなります。

お辞儀ひとつで、人に感動を与えることもあります。しかも高い確率です。

あらためて挨拶について

挨拶は自分と相手の心の状態を伝え合うこと。

●生きていくためのエネルギーを交換し、与え合うこと。

小さな子供の挨拶は最高だ。元気な声を出して、元気さを表現できる。それで親は安心する。まわりの人も楽しくなる。大人になっても子供の頃の挨拶の心を持ち続けられる人はたいしたものである。

挨拶はお互いのパワーの交換ができる。交換できない場合でも、相手にパワーを与えることができる。時に声を出すパワーがないときは、笑顔だけでもよい。相手に笑顔を見せる余裕がないときは? 自分に向かって笑う気持ちでほほえんでみる。すると、顔の筋肉、内臓の筋肉がほぐれる。自分に元気を取り戻せる。

苦手な人、相性がわるいと思っている人に対してなんか、言葉が出てこないよ。
そんなときでも笑顔は有効だ。かすかな笑顔でも人は気づく能力を持っている。

身近な相手に複雑な思いを持っている場合、言葉で表現できないことがある。こんな場合は、相手のからだに思い切って触れることで、不思議と通じる。最近は日本でもハグする人が少しづつ増えてきた。この場合は通じることを願い、意識することが大事だ。例えば、握手なら自分の気持ちを手に込める要領だ。わだかまりが取れて、自分のストレスも解消されやすい。

挨拶の相手は人だけとは限らない。一人暮らしの人、人口が少なくて一日に会話をする機会が少ない人、病気で家にいることが多い人も挨拶してみよう。

「朝」に対しても、挨拶できる。「グッドモーニング。またお会いましたね。」子供の頃はこんな会話も変とは思わなかっただろうが。

勇気をしぼって挨拶して心が通じなかった場合も、がっかりする必要はない。
自分の耳は必ずその声を聴いている。

ハイファから来日した御夫婦のこと

10月30日水曜日、アヴィシャイとニリと会うのは3年振りだ。前回は家族4人で来日して、日本が大好きな両親は子供たちを連れて名所の金沢、高山、京都などを案内した。今回はご夫婦だけで、渋谷に約10日間の滞在予定だそうだ。アヴィシャイとは35年以上前に同じ会社で働いていた。

私もアヴィシャイの家は2度ほど訪ねたことがある。いつの間にか、お互いにシニアライフを送るようになった。

夕方に会った。品川駅近くの日本料理の円で小皿を数品を選び、秋の和食を楽しみつつ、近況を伝え合った。私は彼らから日本の文化を教えてもらうことが多い。日本に数年勤務していた頃は、能楽のお面を器用に彫っていた。奥さんのニリは草月流の生け花を習い、教師のライセンスを取った。日本庭園もハイファの学校で教えていた。

今は何をしているかといえば、アヴィシャイは金継ぎをネットで独学で学び、割れた陶器を直している。素敵な作品の写真をたくさん見せてもらった。すごい。茶道でもありのままを見せる精神の金継ぎ。ユニークだ。

 

 

 

 

 

 

ニリは以前から陶芸をしている。庭に陶板を置いた二人掛けのベンチを作った。大きな作品にも取り組んでいる。風流で自然素材が活かされている。

いつもこの御夫婦のエネルギーには驚かされる。

ハイデルベルグ (3)

ハイデルベルグで公園に不思議な噴水を見た。ビスマルク広場近くで、ハウプト通りからよく見える。始めは水道破裂で大量の水が噴き出しているのかと思ってビックリした。近づいて見ると池から出ているのだ。ハイデルベルグは山間に位置している。ネッカー渓谷からの自然水だろうか? 説明書きの立て札も見当たらず、ネット検索でも出てこない。

ビスマルク広場近くの大噴水

歩いていると、聖霊教会よこに人気がありそうな、ほぼ満席なレストランを見つけた。クラシカルな室内テーブルと外にカフェテリアを備えている。ちょうど聖霊教会が目の前にそびえるよい席が空いた。メニュー選びで迷い、One plateとスープを注文した。これが美味しかった。旅行中、初めてドイツらしいソーセージや春巻き風揚げ物、マッシュポテトなどの盛り合わせ料理。一皿を二人でシェアしても満足な量だった。

 

最後の晩餐

こうして、最後の夕食を取りながら、ビールで旅の無事を祝った。感謝です。

ハイデルベルグ、クルージング(2)

船は定刻に出発。しばらくすると隣りのマッシュー君が何か言いたげだった。このドイツの若者は一人旅だ。イエス?と話しかけると、川の中で人を見つけたらしい。よく見ると冷たい水の中で男性が泳いでいた。

ハイデルベルク城

オー、アンビリーバブル!で会話が始まった。ブレーメンから休暇を利用して車でハイデルベルグの親戚の家を訪ねた。1日チケットは便利だ、と見せてくれる。話し始めると大きな声で高笑いする陽気な人だとわかった。仕事は警備員で食料品を扱う倉庫で侵入者をモニターチェックをしていると言う。船内に犬がいたので、犬は好きですか?と聞くと、まあまあ、猫の方が好きだ、と答える。2匹の猫を飼っている。彼らはまったく性格が違う、オスの三毛猫はダランダランしておっとりしている。一方、白黒のメスは騒がしく、子供が来ると毛を立てて追いかける。彼は、英語が得意ではない、ごめんなさい、と言いながら、すべて身振り、手振り、猫の鳴き声、顔マネを交えながら説明した。とてもおかしかった。プロの芸人のようでモノマネが上手だった。

上流の折り返し船着き場

例のサイン帳に好きな言葉を頼むと、哲学的なフレーズは浮かばない?
しばらく悩んで、モインモイン、と書いた。これは彼の造語で、朝、昼、晩と使える挨拶の言葉らしい。皆に受けているそうだ。最後にお礼のボールペンを渡すと、すぐにバッグの中でお返しの品を探し始めた。そして日本では見かけない特大のレッドブルの缶を指差した。500ミリリットル近くの缶、重たそうだ。
ノーサンキューと丁重にお断りした。

ネッカー川
川原で休憩中の水鳥

 

ハイデルベルグ、クルージング(1)

9月16日、月曜日。旅も終わりに近づいて明朝はフランクフルト空港から羽田へと帰路に着く。最終日は観光スポットを見つけるのではなくノープランで行こう。

朝食をゆっくり多めに取り、9時過ぎにホテルを出た。ネッカー川を目指し進むとほどなく、川沿いの道を見つけた。歩いていると観光船発着場がいくつもある。出発時間を調べると11時出発3時間のクルーズがあった。料金は17ユーロで高くはない。天気も良いし、船上からハイデルベルグの町並みや城や城壁も眺められる。

 

出発まで1時間余りあるので、そのまま川岸に沿って散歩を続けた。有名な古い橋、カールテオドール橋のふもとについた。モダンな猿の像がシンポルになっている。頭部が空洞になっており、そこに頭を入れるとラッキー?。猿の手にある金貨をさわると金運がよくなる。奈良の東大寺にもくぐり抜けると幸運、という柱があったのを思い出した。早速、試してみた。頭はするりと入った。何か期待ができそうだ。

11時10分前に船着き場に戻ると、すでに十数人の観光客が並んでいる。ほとんどが2階野外デッキに行く。昇ってみると席はほとんど満員。大型犬を連れている人もいた。上流の停留所で下船して3時間ハイキングして、5時発の船に乗ることもできる。山歩きスタイルのグループもいた。席を探していると、最後列の船の手すり近くに2つ空席がある。上下グレーのスエット姿のマシュマロマン風の男性がここ空いてるよ、とジェスチャーで示した。折りたたみ椅子の個人席だ。テーブル席は満杯。狭そうだが、落ち着けるかもしれない、とそこに席に決めた。客の後ろ姿が多いが、デッキ全体の様子も眺められ、両側の景色もよく見えた。

 

アーヘンから列車の旅

9月15日の日曜日、4泊したホテルを後にしてアーヘン駅へ向かった。ケルンまでは各駅列車に乗り、そこからハイデルベルクまでドイツの新幹線と呼ばれるICEを利用した。

アーヘンを11時51分に出発。スーツケースを引いて二人分の空席で出口の荷物収納場所がよく見えるところを探した。座席上部の席番号がないところは指定席でないとわかる。行きつ戻りつ、4人掛けの席に座ることにした。すでに髭の男性が分厚い本を開いて静かに読書している。一見風格のある気難しそうな人に見えたので最初は通り過ぎたのだ。

人は見かけによらず。しばらくたって、おもいきって話しかけた。「私たちはケルンで乗り換えてハイデルベルグへ行くところです。」

男性は顔を上げ、「僕はベルリンまで行きます。大学生です。」「何を専攻されていますか?」 「哲学ですよ。」

何か話が合うような気がしてきた。

「私も宗教に興味があります、クリスチャンですか?」 「そうだけど熱心ではありませんね。」「今、母の追悼の旅でドイツを回っています、よかったらこのミニアルバムに好きな言葉かフレーズを書いてくれますか?」 「それはいいアイデアですね。」

前日のケルン大聖堂で書いてもらった言葉、Have faith. を見ながら、信仰も大事だけど、僕は自分自身に対して「強くあれ」、と言っています。と説明して、

Be strong.とドイツ語で書いてくれた。その後も話がはずみ、なぜハイデルベルグに行くのか、など積極的に質問してきた。

降りるとき、よい時間を持てたと握手をして別れた。姉は、学生とは思わなかったね、素敵な人だったから写真を撮ればよかったね、と言った。私はこの哲学する学生との記念写真は撮らない方が余韻が残るだろう、と思った。

ハイデルベルグ駅には15時34分に到着した。タクシーで旧市街にあるホテルに向かった。古い建物を改造したペンション風のかわいいホテルだ。

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