啓蟄の日、元気なセントポーリア

 

セントポーリア、3月5日

最近、毎朝セントポーリアのツボミの膨らみを観察するのが楽しみだ。今日は3月5日、春を感じる啓蟄の日。

写真に撮って拡大すると、また違った景色、世界が見えた。生命力旺盛で、葉も茎もツボミも光っている。植物のオーラ? 残したい成長記録だ。

戦争と平和

過去に多くの人が「戦争と平和」の課題に取り組み、努力し、祈ってきた。
その間、いろいろなドラマがあっただろう。平和を得る代わりに得たもの、それは希望であったり、絶望であったり、友情であったり、苦しみであったりだった。過去の人々成果を享受しているのが現在の状態だ。

平和を語るとき、ある人は何らかの躊躇を感じると思う。
そんな柄ではないと思う人もいれば、気恥ずかしさを感じる人もいるだろう。公然と平和運動をする人以上に、密かに平和を願っている人々大勢いる。平和祈願をする人々の中には、宗教者もいれば、子供もいる。現状が少しでも嫌だと思う人々は、すなわち広い意味で平和を願っていることになる。

「戦争と平和」という一組の言葉があるように、戦争ない状態が平和であると考える人もいる。事件が起こらないこと平和と思う人もいる。

Painted by H.T.

私はこう思う。いまだかつて世界に平和が訪れたことがあるだろうか? 答えは否。いつもどこかで争いが起きている。悲しんでいる人がいる。正しくない規則に縛られて生きている人がいる。

全世界が知らなくても、絶えずどこかで問題が起ているその争いの連続が人間の歴史を作ってきた。平和の時代であれば、歴史の記述者は困ってしまうだろう。書くことがないのだから。

平和を願う者の突き詰めた思いは、すべてのものが一斉に平和である状態」だろう。日本の平和だけを願う者、あるいはアジアの平和を願う者、特定地域の平和を願う者は、真の平和主義者の一歩手前にいる。全体の平和を願う者だけが祝福されるのだ。

政治家に関して言えば、今の地球上を見渡すと、誰も全体の調和ある平和を望んでいないようだ。かつて平和に対する正しい理解を持っていた人も、一度政界という世界に組み込まれると、小規模平和推進者にならざるを得ない。それが今の政治家の役目であるからだ。

すべての政治家は防御態勢に入っている。一見、他国を攻撃しているように見えてもよく分析してみると、それは防御のための攻撃なのだ。現在の戦争も防御のための戦争だ。

一体何をそんなに防御しているのだろう。そんなに守るものがあるのだろうか? 人にも当てはまることだが、国家も防御するものがなければ、攻撃もない。防御するものを捨てれば、攻撃は免れる。シンプルな理屈だ。

註:「眼(あい)天使が語った道しるべ」
2020年電子書籍より。

鎌倉歴史文化交流館と北条氏展

2022年2月22日2時頃、2が並ぶ日、鎌倉歴史文化交流館で開催中の北条氏展を訪ねた。駅より徒歩7分。個人別荘地を鎌倉市が2013年に取得し、2017年に改修が完了した。

伊豆国〜相模国、頼朝の進路

常設展と北条氏展(全4回の企画展)と地層がきれいに現れている石の庭を鑑賞できる。花の木は右手の枝垂れ梅の木1本。質実剛健だった武士の世を感じる。説明のパネルやビデオはシンプルでわかりやすかった。

中世の地層

庭に出て整備された階段を登り、相模湾が見晴らせる高台にたどりついた。古い苔むした昔の階段も温存されている。現代的な建物と展示方法に、古都鎌倉の遺産も溶け合った落ち着いた博物館だった。

相模湾が見える庭の高台

家なかのミニ花壇

家なかのミニ花壇

今日は日曜日。2月4日から始まった北京オリンピックも今日で閉会式を迎える。厳しい寒さもあり、外の散歩は敬遠しがち。今回はオリンピックをいつもより多く視聴した。

テレビの横に飾った鉢植え達は、家に居ても自然の力を与えてくれる。選手達と同じようにたくましい。

濃い白色のカランコエは、昨年の夏、スーパーの花屋で最後の売れ残りだった。小さな花がひとつだけ開いていたが、後は葉っぱだけでシーンとしていた。1か月後、やっと他の花が咲き始めた。半年かけて、今は白い八重の小花で覆われている。分厚い葉っぱから、さらに多くのツボミを覗かせている。

11月に東京で買ったシクラメンも形良く全てほぼ90度に整列している。元気なシクラメンに当たった。

水だけで10年は生きているセントポーリア。根が土の上からワサビ状になって出ている。それでも昨日、小さな1ミリほどのツボミをふたつ見つけた。開花が楽しみだ。今年はどんな形と色で咲いてくれるのだろう。

フェルメールと17世紀オランダ絵画展

東京都美術館にて2月10日から開催されているオランダ絵画展。久しぶりの上野駅。公園口の道路はすっきり整備され、駅舎は焦げ茶色の格子にカバーされて和風になった。

窓辺で手紙を読む女
画中画の天使を加筆(修復後)

今回フェルメール「窓辺で手紙を読む女」の修復された絵画が話題。今回の修復により、大きな天使像の画中画が現れ、輝度も以前より全体に明るくなっている。老眼に嬉しい。

会場ではガブリエル・メツーの「レースを編む女」が印象に残った。今年冬購入したハーフコートと似たデザインなのが目を惹いた。

「レースを編む女」
 ガブリエル・メツー

帰宅して彼の作品を調べるとユーチューブの動画があった。しかも70点と多くの作品コレクションがあり、17世紀のオランダのファッション、食べ物、文化を楽しむことができた。38歳と若くして世を去っている。

フェルメールの作品はメツーよりずっと少なく、30数点が残されている。11人の子供を抱えて、無名のうちに生涯を閉じた。今回の作品の他に「真珠の耳飾りの少女」「牛乳を注ぐ女」などが有名だ。ミステリアスな女性と光と独特な色彩が記憶に残る。

ミッフィ✖️フェルメール
「牛乳を注ぐミッフィ」

 

 

外国映画ウィーク

1月から3月は毎年、気分的に実務的に気がせく。
確定申告の下書きを済ませたところで、先週は気分転換を求め、映画ウィークと決めた。

アマゾンプライムは入会後、ほとんど利用していない。今回は1作品ずつ4日間連続で、おすすめ作品を鑑賞した。どれもハズレがなかった。頭の中を異なる思考が占領した。

🇩🇿  🇳🇱 日曜日に「アルベート・カミュ」1960年に交通事故で46歳の若さで世を去った哲学者、ノーベル賞を受けた小説家であり舞台演出家でもあった。昨年は「ペスト」で再び注目された。アルジェで貧しい子供時代を過ごしたが母の助けのおかげで高い教育を受け、パリに渡った。サルトルとは宿敵だった。

🇦🇷  🇵🇱  月曜日はアルゼンチンの映画「うちに帰ろう」。88歳のナチス時代を生きたユダヤ人の老人が「自分の人生に向き合う」決心をして、ポーランドの幼なじみで恩人を訪ねる旅に出た。少し冷たい家族より旅先で出会う人たちから親切以上の助けを受けながら旅は進む。

🇮🇸  🇺🇦 火曜日の「たちあがる女」もよかった。2018年のアイスランドの景色、温泉も出てくる。この作品もユーモラスなタッチだが自然界の中に音楽グループが演奏している情景が、斬新な表現方法だ。戦闘体制で一人で自然環境を守るために奇抜な工夫を凝らす。ウクライナに住む養女縁組のエピソードも扱っていた。

🇹🇩  水曜日は「ともしび」、2017年のベルギー映画だ。
原題は「ハンナ」。特殊な表現手法、説明しないストーリーで難解だった。コメントを読んでもそこで見解が多岐に分かれている。共感はできなかったが、妙に現実感があった。

鎌倉長谷寺

1月26日水曜日の午後、相模湾を展望できる長谷寺を訪れた。

芳しい蠟梅、長谷寺

数年前、アジサイが満開の頃以来。オミクロン急増のせいか、参拝者はまばらだった。四季の花々を楽しめるお寺、入り口に今の見頃は、「蝋梅、紅梅、白梅、水仙、福寿草」と案内板が出ている。

蠟梅に顔を近づけると、甘いうっとりする香りを楽しめる。地面に点在する福寿草はすぐに目に入ってくる。

福寿草

池には美しい模様の錦鯉が数匹つながっていた。寒さのせいか静止したままだ。

長谷寺、錦鯉

ご本尊の十一面観世音菩薩像の縁起。
721年、「大和長谷寺」を開山した徳道上人の本願によりニ体の観音像が楠の霊木から彫られた。そのうち一体は開眼供養した行基菩薩によって海に奉じられた。その後、736年、相模国の長井浦の洋上に忽然と顕れた。大和長谷寺の開基藤原房前(ふささき)によりこの尊像は「鎌倉長谷寺」へ遷座されたと伝わる。
(註:長谷寺参拝者用パンフレットより)

観音堂に向かって左手に海光庵という茶屋がある。お茶とみたらし団子を頂きながら、短く揃えた竹藪の後ろに広がる海を眺めた。外は寒かったが、店内は暖房が心地よく効いていた。

海光庵のお土産、瓦煎餅

朗読のクラス

昨年9月から月2回の朗読のクラスを受講し、朗読の世界に軽くふれている。

ルリカケス、奄美大島

講師は元アナウンサー、明るい美声で、細かく指導してくれる。クラスは数名の少人数だ。若いキャビンアテンダントの方も不定期に参加している。

始めは音読と同じように捉えていたが、それは全くの認識不足。自分が実際に身を持って行うと、今更ながら朗読の奥深さを知る。

テレビドラマなどの語り、声優など、聴き流していたが、如何に努力や才能、センスが必要なのかわかった。現在は地味な語り、朗読の部分も、今までにない角度で味わっている。

日頃の呼吸も大事で、腹式呼吸で文章を読めるよう、冷蔵庫に貼った発声練習表を見つつ、朝の2〜3分程度発声している。これだけでも始めてよかったと思える。

2022年初詣、日向薬師と阿夫利神社

新年は伊勢原市のひなびた七沢温泉に2日ほど投宿した。ロビーに昭和初期の漫画家、のらくろシリーズの田河水泡の作品集や絵が飾られている。一時期常宿にしていたそうだ。手塚治虫のまえがきを見つけた。

玉川館、ロビー
日向薬師、2022年の絵馬

元旦は日向薬師が祀られている宝城坊で初詣。日向山は丹沢地の東端、大山から続く400メートルの山だ。その山麓にある、1300年前に僧・行基により開創された薬師寺。平安時代、鎌倉時代、江戸時代の薬師如来像が安置されているのは注目したい。

日向薬師のご本尊と日光月光菩薩、木造のなた彫り、平安時代

正月2日目は大山1252メートルの中腹に建立された神仏混合の阿夫利神社。長い石段が続く参道を上るとケーブルカー乗り場に着く。急な山の中腹に駅があり、山頂を目指すにはさらに急勾配の石段を90分徒歩で登る。ミシュラン2つ星の展望が開けているそうだ。魅力的だが今回は本堂のお詣りだけにした。山の登頂達成を含む大山詣りは今年の目標のひとつにしよう。

大山中腹のケーブルカー駅付近
2022年正月の御朱印

ジュンの思い出

12月30日の朝、急に昔飼っていた猫の大往生の日を思い出した。

ヒーターの上のージュン

確か16歳を過ぎていた。だんだん食が細くなった。片方のまぶたも下がって見えにくそうだ。治療もできなかった。ペルシャ猫系の雑種。ロングヘアで毛の中の体は外見ではわかりづらい。その頃は持ち上げると羽根のように軽々として驚いた。

その日の午前中、ジュンは家の中の階段下に座っていた。もう体力がなく、ほとんど動き回ることが出来なかった。名前を呼ぶと、いつもと違って後ろに向く。何か隠しているのだろうか?

正面を見ると、痩せて細くなったせいか、首輪と体の間に前足が入り込んで動きが制限されていた。そんな姿を見られたくなかったのだ。急いで前足を降ろした。やはりジュンは精神が強い。プライドが高い。

その日の午後、ジュンの姿は消えていた。庭、床下、近所、どこを探してもいなかった。その頃は散歩などできるはずもない。

いつか「完全な死は空中へ消えてしまう」と本で読んだことがある。

テレビの上のジュン
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