上高地から白川郷を散策

今回はグループ観光1泊旅に三人で参加した。
姉夫婦と私。全員70代。昔の思い出話も多くなる。

青い空、山々、緑の木々、鳥のさえずり、古い街並み、
シンプルで美しい。

中部地方山あいの風景は人生の現在地、心境を映し出しているようだ。

上高地、田代橋 6/17/2023
穂高連峰、上高地
ウエストン碑、
日本山岳会結成に寄与した牧師
であい橋と庄川、白川郷
萩町合掌造り集落、世界遺産 40〜60度傾斜の大屋根、白川郷民、「結の心」で保っている
明善寺、6/18/2023
茅葺の鐘楼門は檀家が大切に守ってきた。暖かい季節には毎朝6時に、住職が鐘を鳴らす

大塚国際美術館ー徳島県鳴門市

6月11日、空路で徳島空港に着いた。
そこからバスで約1時間、山の上に大塚国際美術館がの建物が現れた。地上2階、地下3階の景観に配慮して建てられた、広大な陶板アートの美術館だ。
世界各地の名画が千点余り、実物大を陶板に転写されている。大塚グループが独自の割れない大きな陶板の技術、色を2万点近く開発した。

会社創始者が鳴門市の白砂からタイル製造をスタート、美術館完成に至ったのが1998年。初代館長、大塚正士氏の地元愛の結晶である。スケールが巨大で、展示会場を散策するだけでも4キロの導線があるそうだ。

展示は飽きないように工夫されている。まる1日は予定に入れたい場所だ。美術展と言うより、陶板アートの館だ。

アレクサンダー大王、ヘレニズム
モザイク画、前334〜

巨大な壁画を見ながら進むと首が痛くなった。しかしモザイクは足元の床も美しかった

Portrait of Victoria
Fridrich Overbeck, 1821

美しく物憂げなイタリアの15歳の農民。
当時完璧な造作から画家たちの間で人気のモデルだった。

4本の樹
 エゴン・シーレ、1918

エゴン・シーレ晩年の哀愁帯びる作品。彼の死後、同年11月に第一次世界大戦が終わり、名門ハプスブルグ家/オーストリア帝国が没落した。

選ばれし者
 ホドラー、ベルン美術館

スイスの国民的画家の作品があった。キリストと思われる少年と天使たち。上野で行われたホドラー展を思い出した。

ゲルニカ
 パブロ・ピカソ 1937

ゲルニカは無差別爆撃を受けたスペイン、ゲルニカ市民の苦しみを描いた作品。現在オリジナルはマドリードの芸術センターにある。

スペインのフランコ将軍からバスク地方の攻撃依頼を受けたドイツ軍から空爆された。世界中から非難を受け、映画にもなった。

金沢の旅 ③ :伝統工芸展、金沢城公園、ひがし茶屋街

最終日3日目は予報に反して、朝から小雨。
ゆっくり朝食をとっていると、昨日ランチ店で会話を交わした大宮からの女性2人が声をかけてくれた。情報交換をした。帰りの新幹線は出発は20時近くにしてある。10時前にチェックアウトを済まし、荷物を預けたまま、ホテルを出た。

歩いて5分位のショッピングビル、めいてつエムザで伝統工芸展にて入賞作品など開催中だ。入場料500円、良さそうだ。予想に違わず、精微な伝統工芸品の数々に加賀の香りを存分に感じた。

緑彩花瓶・笹音、宮本雅夫氏入賞作品
神話の月、高田和司氏入賞作品

兼六園散策では金沢城公園に行けなかった。雨も上がってきた。公園内を散策することにした。入り口を探していると、地元の自転車に乗っていた女性が、「どこかさがしていますか?」と声をかけてきた。入園は石川橋を渡るのが一番お勧め、オリジナルが残っている門はここだけと説明してくれた。

金沢城公園、石川門口

玉泉院丸庭園に行くと、ボランティアガイドのコーナーがあった。ここでも人が少なかったせいか、年配の女性ガイドが声をかけてくれた。結局30分ほど、庭を含め、公園全体の説明を聴くことができた。お松の方の別荘、玉泉院丸の庭園、小堀遠州の弟子の作庭で、土の橋、木の橋、石の橋とあるのがわかった。

金沢城公園内、玉泉院丸庭園

香林坊ダイワは1階ウインドウはブランド品が飾ってある。このビル8階でランチタイムにした。見晴らしがとても良かった。

午後はひがし茶屋街で時間をかけて散策。
地図なしでもたくさんの見どころに行き当たる。入場料500円の「志摩」は1820年に建てられた木造二階建てのお茶屋さん。一階が帳場、二階は高くしてあるお座敷。押入れはなく、襖を開けて小さなライブ場になる。中庭を臨む透かし欄間も繊細だ。

重要文化財、茶屋志摩の帳場
ひがし茶屋街

夕刻、前田家の大きなお位牌が安置されてある円長寺にて、地元の書家、水口天楓さんとお話する時間があった。遅い時間の新幹線で正解だった。それでも宿泊ホテルでタクシーを拾って急いで駅に向かった。駅の名店街で、加賀の棒茶、和菓子、夕食の笹の葉寿司などを買って車両に乗り込んだ。

金沢の旅 ② :尾山神社、長町武家屋敷跡、寺町寺院群

25日、2日目の朝は珍しく5時に起きた。7時からの朝食バイキングが始まる前から並んだ。ホテルを8時に出発、近くの尾山神社の散歩からスタート。

すでに境内は外国人観光客で賑わっていた。広い境内の奥は金沢城公園口に隣接していた。

尾山神社、中庭からの門構え

初代加賀藩主の前田利家公とお松の方を御祭神とする大きな神社。
利家は豊臣秀吉政権の五代老のひとり、身長182センチの長身で槍の名人だったそうだ。松は12歳で従兄弟の利家と結婚、2男9女を産む。利家が61歳で病死したあと、出家して芳春院と号した。71歳で金沢城内で亡くなった。

前田利家公の像、尾山神社

次に長町武家屋敷跡を歩いた。
普通の住居も多く、木戸を音をたててスライドする古い門構えが並ぶ。九谷ミュージアムの半分は店舗になっており、現代作家の作品も多く並んでいた。中庭に青木木米の割れた作品をモザイクにした記念碑があった。

青木木米の記念碑、
 金沢九谷ミュージアム

昼食は旅行会社からの店指定のクーポン券を利用し、駅近くで能登牛のひつまぶし膳をいただいた。午後は室生犀星が愛したと言われる犀川方面へ向かう。

金沢市内には優雅な細い浅野川と雄大な犀川が流れている。
犀川をまたぐ犀川大橋を渡ると、すぐに寺町寺院群がある。

小規模な寺院の中に、ユーモラスな像や文学石碑を見つけるのが楽しい。忍者寺で有名な妙立寺は、予約必要だが閉館していた。

雷神が見下ろす、成学寺の門前
松尾芭蕉の句碑、本長寺

『春もやや〜けしき調う月と梅』〜 松尾芭蕉

犀川の夕暮れ、5/25/2023

金沢の旅 ① :兼六園、石川県立美術館

5月24日から2泊3日の金沢見学の旅に出た。今回はひとり旅で気ままに、計画なしで動くことにした。

新幹線で金沢駅には12時前に到着、有名な鼓門に会えた。世界で4番目に美しい駅と言われている。

金沢駅前、能の楽器、鼓形の門

午後いちばんで向かったのは、特別名勝兼六園。想像以上に広く、手入れが行き届いており、美しい、動きのある庭園だった。土地の傾斜地を利用して、川の曲水を造っている。透き通る水辺でカルガモの親子が散歩していた。

蓮池門口近くの坂上の眺望
霞が池のカルガモ、兼六園

ひと気の少ない散歩コースを外れたところにひっそりと金城霊澤(きんじょうれいたく)と金沢神社があった。昔、芋掘藤五郎が沢の湧き水で砂金を洗っていた。金洗沢、転じて金沢の名前の由来はここから来ている。

金城霊澤

重文成巽閣(せいそんかく)は水曜日は休館、近くの出口から園外に出ると、石川県立美術館が広がっていた。

石川県立美術館、玄関前

企画展と常設展をゆっくり回った。入り口正面に世界的有名パティシエのケーキが有名なカフェがある。外国人日本人10名ほどがベンチで順番待ちをしていた。

国宝 色絵雉香炉
 野々村仁清 江戸 19C
青手樹木図平鉢 古九谷
  江戸 19C

戦争しない世界を

5月20日土曜日の午後、横浜駅近くのかながわ県民センターで、開催された。
副題は「5月29日・横浜大空襲から78年」とあった。毎年5月に企画され、タウン誌で知った私は初めての参加だ。2時間30分の予定時間が3時間近くに延びたが、最後まで参加者は集中していた。充実した新しい見方を提起された。

特別企画 戦争しない世界を

始めに横浜市立日吉台中学校演劇部による朗読劇。
三重県出身の詩人、竹内浩三の「骨(コツ)のうたう」の詩を1、2年生の部員が脚本に従い、力強く、語りかける。聞きやすい声もさることながら、浩三の気持ちがストレートに伝わった熱演だった。浩三は23歳で戦地で亡くなった。

この後、お二人の講演が続いた。はじめは元山手中華学校教諭の符順和さん。印象に残った話は、1986年中華街の関帝廟が全焼した時、対立していた大陸と台湾の華僑が歩み寄ったこと。終わりのメッセージは、今横浜のノースドックに米軍の部隊が常時配置するようになった。私たちは、全体のために何ができるかを考えていく時代に生きている。

羽場久美子 2019年著書

最後の講師は青山学院大学名誉教授の羽場久美子さん。
キャリアが長く、国際政治の大家。多くの図表を使って、今ある国際関係、戦争を始めさせない必要性を講義して頂いた。母親が岡山で1945年の大空襲に遭い、父親は広島で被爆した。両親とも戦争被災者です、と紹介された。

世界情勢をわかりやすく、超特急で説明した。参加者へ強く伝えたいことは、東アジアの平和をいかに守るか。そのためには、中国、韓国、台湾などの近隣国と友好関係を築くためにお金を使う、憲法9条を守る、自治体の戦争反対の運動をさらに活発に発信していく。

沖縄、地方自治体を平和のハブにして、「東アジアの国連」を市民、自治体から発信しよう、という提案が熱意を持って語られた。

岩国の錦帯橋と広島の縮景園、散策 ③

4月26日、旅の3日目は、主に散策で過ごした。
山口県岩国市の錦帯橋を渡るため、バスセンター8時15分発の高速バスに乗った。約1時間で錦帯橋に到着、乗車客は3名と贅沢だった。

バス停から降りてすぐの錦帯橋

錦帯橋は必ず往復入場券が必要で、岩国城へのロープウェイのセット券で970円を購入。創建以来、約350年経った木の橋をゆっくり足元を見ながら、渡った。

岩国城、4/26/2023

ロープウェイから降りると、岩国城まで自然道と舗装された道を選べる。緩やかな坂道を歩いて10分ほどで桃山風南蛮造りの岩国城が現れた。天守閣から岩国市を眺めた。

天守閣から岩国市を見下ろす

名物のレンコンそばを賞味し、再び、高速バスで広島バスセンターに戻った。

夕方の航空便まで駅近くの縮景園で過ごした。手入れの行き届いた美しい庭園、錦鯉もゴージャス。ゆっくり回ると1時間はかかる。

名勝 縮景園

旅の終わりはベンチに腰を下ろして、もみじ饅頭を頂く。目の前で、鯉がおどろくほど高く元気にジャンプした。ここはカープの街だと改めて思い出した。

大名庭園の先駆け、縮景園

初めての宮島、真言宗大聖院 ②

2時間コースで、厳島神社、厳島弁財天をお祀りする大願寺、弘法大師の真言宗大本山大聖院と、3箇所のお寺神社を回りながらガイドをしてくれた。上り坂もあり、車夫さんは重労働だ。

真言宗大本山、大聖院

大聖院の遍照窟は四国八十八カ所の本尊が安置されている。

大師堂近くの遍照窟、大聖院

洞窟に入ると美しい照明の大部屋が広がり、驚かされた。腰高の数珠を触りながら、全部のご本尊と対面しながら進むコースが設置されている。観光客が少なく、ゆったりとした気分でお遍路に参加した気分になれる場所だった。

遍照窟の内部

隣接している弥山伽藍へのロープウェイは雨風の悪天候のため、運休している。こちらの伽藍も2時間、紅葉谷コースを歩くと3時間くらいかかるようだ。

真夜中のフラワームーン

ゴールデンウィーク後半の5月6日、夜中3時ごろ、目が覚めた。強風吹き荒れる音がする。レースカーテン越しの外が眩しく明るい。もう夜明け?と思ったほどだ。

フラワームーン、5/6/2023

メガネをかけてよく見ると、満月が覗いている。月が呼んでいる。ありがとうございます。これはシャッターチャンスとばかり、ボンヤリした頭のまま、数枚の写真を撮った。ベッドから見た始めの景色が一番良い。椰子のミニ株やサボテン、左に白いカーネーションの影も映っている。

朝、起床してネットで調べると、あの満月は5月6日のフラワームーン、輝度高く、鞍馬山では昨日、年に一度の五月満月(ウエクサ)祭が行われたそうだ。

初めての宮島、厳島神社にお詣り ①

4月25日はあいにく終日雨の予報、携帯傘より便利な普通の長い傘をホテルで借りた。タクシー予約も40分待ちだ。

公共交通は路面電車の紙屋町東駅まで徒歩10分。そこから東広島駅に行き、JRに乗り換え、宮島口駅に到着。1時間くらいでスムーズだった。そこから出航するフェリーもすぐに乗船でき、10分ほどで、宮島桟橋に着いた。

広島電鉄、路面電車

大勢の外国人観光客、島は風もあり、この日は2月くらいの気温に下がっているそうだ。多くの開いた傘、傘、周りの景色が見えにくいだろう、少しガッカリして進んで行くと、人力車のお兄さんがお客待ちしているのが見えた。これは利用させて頂くのが正解だ。オプションの説明を聞いて、2時間のコースを選んだ。

暖かいひざ掛けを2枚掛けてくれた。薄着だった私は有り難かった。記念写真も上手に撮影して頂いた。

人力車で宮島参拝、スタート

厳島神社は推古天皇元年593年に創建された。
その後、1168年頃、平清盛が神殿造りの海上社殿を造営した。1571年に毛利元就が本殿の大規模な修復を行なった。
宮島全体が御神体ゆえ、流血の戦いを起こした毛利氏が改築の責任を負ったのだ。

大鳥居は重さ約60トン、高さ16メートル。クスノキを使用しており、鳥居の重さと強固な地盤だけで自立している。当時のすぐれた建築技術に驚嘆するばかりだ。

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