オランダ、マーストリヒトへ日帰りの旅(1)

アーヘンから国境を超えてオランダのマーストリヒトまで40キロ、急行で30分。下調べによるとオランダ最古の街でオランダでも人気の田舎町。なぜ有名なのか?

  • マーストリヒト条約が1993年11月に締結、ECから現在のEUへと移行。通貨統合の日程と基準を設定した。ユーロ(オイロ)が流通されたのは2002年1月から。

9月13日金曜日、旅の3日目、朝ゆっくりホテルを出た。アーヘン駅で往復切符を勧められ、20ユーロを払った。ダイヤの都合により各駅列車で65分乗車。11時50分にマーストリヒト駅に到着。駅舎の内外はレトロな雰囲気で素敵だ。外壁のタイルも一つ一つ違う絵が描かれている。

 

大通りを直進するとすぐに大きな橋と川が見えてきた。地名の由来のマース川だ。右手に遊覧船が泊まっている。とりあえず街並みを船から見よう。川岸に行き、次回の出発を尋ねると13時。10ユーロで1時間のクルーズ、ちょうどいい乗船の長さだ。

船のデッキに多くの人が集まり、船内のレストランからビールを注文して飲んでいた。私たちもデッキ端に腰掛けてSサイズの地元ビールを頼んだ。

マース川遊覧船から

 

空は少し曇っていたが、オランダのビール醸造所や学校関係の建物など生活の舞台が続く。

 

アーヘンの旅、カール大帝について(4)

●カール大帝の言葉:

「平和なくして、神を喜ばせることはできない。」

「自分の使命は、聖なるキリストの教会を作ること」

カール大帝

アーヘンはヨーロッパのホームランド、カール大帝は初めて西ヨーロッパを統一した皇帝。街中にカール大帝の存在が残っている。

旅行前にアーヘン、カール大帝について調べたが、その知識はなかなか頭の中に多くは留まらない。

帰国後、おおまかな人物像を改めて調べてみた。

⚫︎742年から814年までの71歳の生涯。身長195センチ。ふさふさの銀髪。

⚫︎好きなこと:乗馬、狩猟、水泳、温泉プールで側近達と泳ぐこと。

⚫︎動物の飼育:象、猿、ライオン、クマ、鹿、孔雀、キジ、カモなど宮廷動物園で育てる。

⚫︎好きな食べ物:焼肉、お酒は飲まない。

⚫︎語学:読み書きはしなかった。耳からギリシャ語やラテン語を習得。古代の歴史書など聴いて楽しんでいた。

⚫︎服装:簡素。麻の下着。チョッキとズボンのスーツに革製のゲートルをつけ、靴を履く。

800年12月25日、ローマのサン・ピエトロ聖堂の午前中のミサにて、教皇レオ3世より西ローマ皇帝として戴冠した。これは324年ぶりの西ローマ帝国の復活だった。

晩年、アーヘンをフランク王国の首都と定めた。

⚫︎カール大帝の悲しみ:弟を若くして亡くし、後継の長男、次男に先立たれ、三男が世継ぎとなった。

アーヘン大聖堂、ガイドツアーに参加する(3)

大聖堂から外に出て、周りを歩いているとインフォメーションセンタがあった。

中に入ると、受付がある。ガイドツアーについて訪ねると、2時から英語のガイドがスタートするという情報を得た。宝物館の入場券と合わせて10ユーロだ。 ちょうど2時まで1時間ある。宝物館を見学したあと、英語のツアーに参加することにした。

 

宝物殿はまさしく宝の山。熱心で裕福な信者、貴族たちがカール大帝に贈った品々、宮殿で特注したもの、金細工や宝石でうめられた十字架、象牙彫刻の聖母子レリーフ。大きな宝石が埋め込まれた眩しい金の聖母子像。足元に小さくひざまずいているカール大帝の像。珍しい姿だ。日本では見られない貴重な展示物の数々だった。1時間は短か過ぎたが、集合場所へ急いた。

すでに20人以上の参加者が、集合場所である木製ミニチュアの大聖堂のガラスケースの周りに集まっていた。ここでドイツ語ガイドと英語ガイドのグループに分かれた。

英語ガイドは若くて朗らかなドイツ人女性。始めに、皆さんどこから、来ましたか? と参加者に聞いた。

英国、イタリア、スペイン、ブラジル、アルゼンチン、日本等々。国際的だ。ガイドの説明は専門用語が多く、年代もわかりにくい。特に人名はチンプンカンプンだ。周りの人々もそのようだ。やはりカトリック信者が多いのか、宗教的な質問をしていた。話の合間に少し休みを入れて、皆さんでわかったことをお互いに助け合って説明してください、と気を使ってくれた。

 

 

 

 

 

ツアーでは、一般観光客が入れない祭壇や金の聖櫃の周りや、聖堂2階にらせん階段で上ることができる。1階はすでにツアー前に時間をかけて見学していたので、2度目の見学でさらに目を凝らして見学できた。2階は狭い階段で登り、回廊バルコニー風になっており、1階の聖堂を見下ろすことができる。600年間で30回の戴冠式がこのカイザードームで行われたのだ。祭壇の真正面が見下ろせる大理石の玉座はツアーならではの見どころ。大理石のシンプルなデザインの椅子だった。

ドイツ、アーヘン大聖堂、はじめまして。(2)

アーヘン大聖堂は宿泊ホテルから15分ほど上り坂の右手にあった。

朝の活気が始まっており、パン屋のショーウインドウには焼きたての様々な形のパンがところ狭しと陳列されていた。右手に屋根が見えてきた。小さな広場に面白いポーズをした数人の男たちが人工の泉の周りを囲んでいる。ドイツの彫刻はじっとしていない作品が多い。体型もユーモラスだ。

今まで曇り空だったのに、このドーム近くの広場に着くと日が射してきた。

空が曇りなのと晴天では、建物の見え方、印象がかなり違ってくる。天気に感謝した。中庭を通って入場自由の大聖堂。いよいよご対面と心躍った。

想像以上に素晴らしい細工に囲まれていた。どこを見ても超絶技巧を施された宝物。八角形の天井は複雑に模様や大理石が組み合わされている。ステンドグラスの窓も様々な模様、雰囲気で、時代が違うものが混在している。

信者の信仰が今も新鮮に息づいていた。786年にカール大帝が建てた宮殿教会の内陣には祭壇があるが、一般客は入れない。しかし、見るとグループが入って説明を受けている。

私が羨ましそうに仕切りのチェーンから身を乗り出していたのだろう。背広姿の年配の紳士が、1時から中庭に集合したら、ガイドツアーがあるよ、と教えてくれた。

写真は撮り放題、入り口に係のおじさんがいなかった。しかし、帰る時、おじさんに気づいて、1ユーロを払った。接着性の白いテープ状の許可の印をカメラにつけてくれた。

ドイツは入り口、出口、駅の改札、指定席の検札など、人がいたり、いなかったりで、チェックしたり、しなかったりで、これもお国柄だろうか?

大聖堂は今も補修工事があり、小さな小さな募金箱と大きなドームの全体写真が中庭に設置されてあった。姉と私は、これもご縁だ…と極小スリットに工夫しながら紙幣を入れた。貧しそうな人が突然、目の前に現れ、両手を差し出した。とっさに紙幣1枚を差し出した。男性の表情は変わらない、そのほうがよかった。

 

ドイツ、アーヘンに行く! 旅 の始まり(1)

母はキリスト教関係の月刊誌を数十年にわたって購読していた。

私は見出し程度を読む程度だったが、母が他界して約1ヶ月経った頃。

それは購読分最後の7月号の「サインズ」。珍しく隅々まで目を通した。

その中にアーヘン大聖堂の記事があった。ヨーロッパのキリスト教文化や美術が好きだった母。

ある時、私が家に戻ると、

「今日はイタリアの広場を散歩したよ。」

と言う。テレビをずっと見ているので、現実感があったのだろう。

母は海外に行く機会がなかった。

一緒に行きたいと思った時は車椅子。

他にもトイレ問題もあり、実現しなかった。

このアーヘン大聖堂の美しい写真を見て、読んで、ピンと来た。

ここを訪ねる! 母と共に。ケルン大聖堂も近い。二つの世界遺産を見て感じるのだ。母のセンスとも合うはずだ。

7月末、相続など実務手続きを超特急で済ませ、四十九日法要も終えて、一息ついた頃。

旅行会社を訪ね、旅の計画をたてた。1週間の予定でアーヘン4泊となんとなく親近感のあったハイデルベルグ2泊にした。

出発が9月11日なので、ホテルや航空券など早割料金が適用された。

同行の姉も私も若くはない。体力も自信がない。特急列車の予約は1等車で入れてもらう。

直行便で成田からデュッセルドルフまで11時間、帰りはフランクフルトから羽田まで13時間。

なんとか足の血行問題は大丈夫だろう。代金は全部で21万円だった。

昔、初めての欧州旅行は大韓航空で南回り、3箇所に寄りながら、24時間。

飛行機代もずっと高かった。40年も前のことを思い出した。

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