ケルン、駅近くで買い物(3)

旅のお土産にオーデコロンの発祥地のケルンでコロンを買うことにした。「ケルンの水」という意味だ。ナポレオン軍占領下、人気となったコロンの老舗が駅近くにある。店の名の4711はナポレオン時代の住居表示だ。店内は混雑していた。サンプルをいろいろ試して、バラの香りを選んだ。人気の香りのようだ。たくさんのギフト用リボン付きのラッピングの箱が並んでいた。

その近くにLブランドのバッグショップがあった。今回の旅に使っていた貴重品入れのショルダーバッグは風袋が重い。軽い素材のバッグを探しに店に入った。1階は高級品、意外に2階にカジュアルバッグが置いてあった。中国系の女性店員が笑顔で接してくれた。グレー系の軽い素材の小振りのショルダーバッグを選んだ。

店員は英語を話すが、ドイツ語も堪能のようだ。中国語は主語、動詞、目的語と同じ場所なので英語など習得しやすいそうだ。うらやましい。日本語はこの点で語順が違うので、英語の上達が一般的に遅くなってしまう。

彼女は中国から移住して15年。娘もドイツで育てている。サイン帳に好きな言葉を書いてもらうことにした。快く中国語と英語で書いてくれた。

祝悠幸福!

I wish you happy days.

話しているうちに6時近く。姉がきれいな色の携帯傘を見つけ、購入を考えていた。合理的なお国柄か、

「もっと考えた方がいい、もう閉店だし。」結局買わずじまいになった。残業はなし? 働き方は日本とは違うようだった。

ケルン、ルートヴィヒ美術館を訪ねた(2)

遅いランチを近くのホテルカフェで取った。大聖堂の周りはどこも混雑していたので、人気のない近くの路地に行った。客は誰もいないが、窓際の席から大聖堂の尖塔部がよく見える。ピザとスープを頼んだ。

目の前にローマ・ゲルマン博物館がある。食後はその隣に位置するルートヴィヒ美術館を訪ねた。現代美術のコレクションが多い。入場料は13ユーロで、荷物はホテルのようにクロークに預ける。撮影は自由だ。

ピカソ

中は広い。日本でこんなスペースの美術館はないだろう。作品ごとはかなり間をとっている。時間が限られているので、ピカソコレクションを中心に鑑賞した。今まで見たことのない絵画が多い。その他に、陶板や彫刻が個室コーナーに展示されていた。ここも初めて見る作品ばかりだ。土曜日の午後、鑑賞しているのは数人だ。ゆっくりできる場所だった。

アルルの女
モジリアーニ
「アルジェの女」

今、人気の高いモジリアーニの作品もあった。見覚えのある女性だ。帰国して絵葉書のファイルを見たら、同じ絵が入っていた。「アルジェリアの女」だ。本物に会えるとはすごく低い確率だ。1920年に若くしてこの世を去ったイタリア出身の画家。苦悩があったのだろうか。一目で見たら忘れない女性像を多く今の世に残した。

ケルン大聖堂に上った(1)

9月14日土曜日、今日は世界遺産のケルン大聖堂を訪ねる。

アーヘンから列車でケルン駅まで1時間足らず。日帰りの旅だ。往復チケットは46ユーロだ。

のんびり車窓を眺めていると、突然巨大な大聖堂の一部が出てきた。駅のすぐ横に位置しているので、迷うことはない。土曜日の午前中で特に混雑していた。建物正面に向かうと中国関係のイベントの仮テントやステージが広がっていた。ケルン大聖堂

とにかく中へ入ろう。礼拝堂に行くと祭壇の前で集会、ミサ?の最中だ。後ろの席近くは立ち入り禁止の紐が張られており、真ん中で祭司の服装のヒゲをたくわえた若い男性が立っている。手前の観光客が入らないよう番をしていた。そんな雑踏の中、インタビュのことを思い出した。

”Excuse me. May I ask a big favor?” (厚かましいお願いですが。)

と話しかけた。はい?と答えてくれたので、

「私は今5月に他界した母の追悼旅行をしている途中です。

あなたの好きな言葉をアルバムに書いてくれますか?」

数秒考えて、”Have faith.” と英語で書いてくれた。名前はニコ。まったくこの名前にピッタリの印象の教会の方だった。

聖堂内は人が多すぎてゆっくり観光ができない。外に出て、南側尖塔に上ることにした。建物を出て左側に行くと、地下へ続く階段がある。入り口で入場料2.5ユーロを払う。らせん階段で両側通行。エレヴェータはありません、のサインがあった。533段で急な階段。体力のない人は上らないでください、と注意しているようだ。ガイドブックには30分かけて上り、翌日膝が痛くなった、などのコメントもあったが、せっかくだ。高いところに絶景が待っている、いざのぼらん。

ケルン大聖堂の南尖塔からの眺め

ゆっくり上れば、それほどきつくはない。途中に大きな鐘が置いてある休憩スポットもある。上がってよかった。157メートル上空は天気がよく、ライン川や橋、遠景がくっきり広がっていた。柵も気にならなかった。

明け方、母から言葉を受け取った

9月14日の明け方4時頃、テレビの方からなにやらミシミシする音で目が覚めた。しばらくベッドの中にいたが、恐る恐る起きてみるとテレビの電源が入って画面が黄色くなっていた。リモコンですぐに電源を落としてベッドに戻った。

すると心の中に母からのメッセージが浮かんできた。集中して受け取った。20分くらいだったろうか。その内容は要約すると次のようになる。

  • アーヘン大聖堂はとてもきれいだった。素晴らしい建物だったですね。

神様の創られるものはすべて美しい。

  • お母さんは退屈しません。生きている時も今も同じです。生きていると、不快なこと、感情的になること、気にしすぎることなどありますが、それらは地球の上ではチリやホコリのようなもの。吹き飛んでしまう。小さな凹凸は気にすることはないですよ。
  • ちさは変わらずに、いつまでもちさのままでいて下さい。

ドイツのアーヘンで母の感想を聞くことができて安心した。

そして励まされた。

確かに一緒に旅しているのだ。

アーヘンの温泉施設でトラブル

マーストリヒト駅に戻り、予定通り18時19分の列車に乗車、19時30分にアーヘン駅に到着した。

20時前にホテルに戻った。姉がこれから温泉に行こう、と積極的だ。

カルロス・テルメンという温泉施設があり23時まで営業している。ホテルからタクシーで10分くらいの場所だ。カール大帝も利用したアーヘンの温泉には興味があり、一応水着は日本から持ってきている。

受付を通り、貴重品用のボックスキーをもらった。説明掲示板はドイツ語だが、常識に従って扉を開ける。貴重品を入れて、進むと足を洗う浅いプールやシャワーがある。着替用の個室が並んでいる。反対側のドアから出ると、衣服を入れるロッカーがあった。しかし、ここで問題があった。タオル類が1枚もない。バスタオルを肩にかけたい。うろうろしていると、掃除をしていたにこやかな男性が声をかけてきた。通常、タオルは各自で持ってくるらしい。レンタルは受付で頼むそう。受付に行くとフェイスタオル2枚しか残っていないという。日本ではタオルは無料? もちろん、何枚でも自由に使えますよ。

やっと温泉のあるドアを開けた。いくつかプールになっている。ジャグジー風呂もあるが、どのプールも温度が低すぎる。体が温まらない。寒くなって30分くらいで上がることにした。そのあとで再び問題が起きた。

更衣室ですぐに貴重品入れの鍵がないことに気づいた。ロッカーの鍵と兼用だ。ロッカーに戻ってもない。どこを探してもない。またニコニコした掃除夫が、温泉楽しみましたか?と声をかけてきた。事情を話し、一緒に探してもらったが見つからない。セキュリティ管理者がマスターキィを持ってきて、私の貴重品入れを解錠した。何もなくなっていなかった。

受付で事故調査票を書き、鍵を作る費用30ユーロと後払いの入湯料11ユーロを払った。手続きは20分ほどかかり、受付で帰る人たちが精算のため数人並んでいた。3日間で鍵が見つかったら返金になるので、メールで問い合わせてくれと言う。その頃はハイデルベルクに移動している。返金の可能性も低いし、30分で41ユーロと高額の出費だったが、貴重品は無事だったのは嬉しかった。

しかし、鍵はどこに行ってしまったのだろう。5分の間に消えた。謎である。

マーストリヒト、街歩き、聖母マリア教会(3)

下船して旧市街をブラブラ歩くことにした。特に目指すところはない。古い石畳をよく見ると継ぎ目があり、石の形も同じではない。犬を連れて散歩している人、ラフな服装の親子、地元の住民、本を抱えた学生、豪華に着飾った年配婦人、観光客が一緒に週末をのんびり楽しんでいる。横浜の元町の休日を思い出す雰囲気だ。しゃれた店も連なっている。

花と石畳

聖セルファース橋から10分も歩かないうちに、大きな広場、大きく育った1本の木、その横に聖母マリア教会があらわれた。窓はほとんどなく壁状にみえる。海の星聖堂は無料開放されており、薄暗い。ロウソクがたくさんともっていた。ロウソクを買って一つ加えた。

聖母子の像は白く輝いていたが、細部はよく見えなかった。地下のギフトショップで絵葉書を買った。信者が寄贈する豪華な衣装。刺しゅうが美しい。たくさんの手の込んだ衣装があり、時々衣替えしているそうだ。

聖母子像

帰りのアーヘン行きの列車は18時19分。駅の近くで休憩することにした。

橋の近くに戻ると、ちょうどリバーサイドカフェのテーブルが一つ空いた。夕方のマース川、行き交う人々を眺めながらのんびりしよう。

アーヘンに到着した夜、ホテルのレストランで食べたハンバーガーとフレンチフライのポテトの量が一人前と半分くらいあった。ドイツの料理の一人前は一般的に日本人には量が多いらしい。それ以後、食べ過ぎに気をつけ、プリッツエルのサンドイッチやカットフルーツなどを間食に食べていた。パンは時間が経っても美味しく、飽きない。駅で多くの種類があり、人気がある。

●帰国して、ドイツフードに関してある研究者の講演会に参加した時の話。

ドイツのパンはヨーロッパでも特にいちばんと言えるくらいに美味しい。昔から主食と言えば、ポテトやキャベツ酢漬けではなく、パンとコーヒーだそうだ。日本のご飯とお味噌汁という定食感覚。お米を入れた野菜スープも庶民の食べ物も戦争中からあったらしい。

私たちは胃にやさしいメニューを選んだ。サラダ、野菜スープ、本日のスープ、カプチーノだ。野菜スープが人参色の濃厚味で美味しかった。本日のスープは鶏のささ身が入ったあっさり味。低カロリーの早い夕食をすませて駅に向かった。

マース川の船上でインタビュー最初の人と出会った(2)

今回の旅をより有意義な時間にするために、出発前に次のイベントを考えた。

まずサイン帳になるハードタイプの10センチ四方のミニアルバム(母の写真集)を持参した。写真は話の途中で利用することもできる。

⚫︎旅先で人のよさそうで、話しやすそうな人と会話する。

⚫︎彼らの出身、仕事、住んでいるところ、などを話題にし、最後に好きな言葉や座右の銘、モットーをアルバムに書いて名前だけでもサインをもらう。

⚫︎最後に日本からの記念品としてパイロットのフリクションボールペンを渡す。

このボールペンは先端に消しゴムがついているタイプで、外国人に人気と聞いている。

アーヘンでは観光に忙しく、インタビューの時間とチャンスがなかった。

ところが、遊覧船の階下のレストランに行くと、思いがけず、若いウエイターが話しかけてきた。

`Are you a Christian?  Because your choker chain of a cross…`

私の小さな、しかし光っている十字架のネックレスを見たのだ。

`Yes.  Are you?`

から会話が始まった。

自分もそうだといい、左手の手首内側に1センチ四方の十字架のタトゥを見せてくれた。アフリカのコプト教会だろうか?多くのクリスチャンではタトゥは普通のことらしい。

日本からの観光客だと告げると、すぐに積極的に質問してきた。

「日本にはどのくらいのクリスチャンがいるのですか?

エジブトではアフリカンクリスチャンが9パーセントくらいです。」

「日本は多分1パーセントくらい。」と答えた。

(⚫︎メモ:日本の歴代首相では63人中7名で11パーセントと以外に高い。)

彼はエジブトのカイロからオランダに移住し、このレストランで働いている。

最後にリクエストに応じてサイン帳に好きな言葉をアラビア語で書き、ハートマークを2つ入れてくれた。

 * Love is the base of life.*   (実際はアラビア語)

「日本語で訳を下に書いてください」というので、「愛は人生の基礎です。」と書いた。

そして最後に `This is a pen made in Japan. `  と記念品を手渡した。中学時代の教科書を思い出し、少しおかしく思った。同僚のウエイトレスに軽く手で注意されながらも、それにはお構いなく、彼はスマホを取り出し、2ヶ国語で書かれた彼の好きな言葉のサイン帳と私を入れて自撮り写真を撮った。仕事中だったので、とにかく素早い行動とインタビューだった。申し訳なかったが、喜んでいて私もうれしかった。

オランダ、マーストリヒトへ日帰りの旅(1)

アーヘンから国境を超えてオランダのマーストリヒトまで40キロ、急行で30分。下調べによるとオランダ最古の街でオランダでも人気の田舎町。なぜ有名なのか?

  • マーストリヒト条約が1993年11月に締結、ECから現在のEUへと移行。通貨統合の日程と基準を設定した。ユーロ(オイロ)が流通されたのは2002年1月から。

9月13日金曜日、旅の3日目、朝ゆっくりホテルを出た。アーヘン駅で往復切符を勧められ、20ユーロを払った。ダイヤの都合により各駅列車で65分乗車。11時50分にマーストリヒト駅に到着。駅舎の内外はレトロな雰囲気で素敵だ。外壁のタイルも一つ一つ違う絵が描かれている。

 

大通りを直進するとすぐに大きな橋と川が見えてきた。地名の由来のマース川だ。右手に遊覧船が泊まっている。とりあえず街並みを船から見よう。川岸に行き、次回の出発を尋ねると13時。10ユーロで1時間のクルーズ、ちょうどいい乗船の長さだ。

船のデッキに多くの人が集まり、船内のレストランからビールを注文して飲んでいた。私たちもデッキ端に腰掛けてSサイズの地元ビールを頼んだ。

マース川遊覧船から

 

空は少し曇っていたが、オランダのビール醸造所や学校関係の建物など生活の舞台が続く。

 

アーヘンの旅、カール大帝について(4)

●カール大帝の言葉:

「平和なくして、神を喜ばせることはできない。」

「自分の使命は、聖なるキリストの教会を作ること」

カール大帝

アーヘンはヨーロッパのホームランド、カール大帝は初めて西ヨーロッパを統一した皇帝。街中にカール大帝の存在が残っている。

旅行前にアーヘン、カール大帝について調べたが、その知識はなかなか頭の中に多くは留まらない。

帰国後、おおまかな人物像を改めて調べてみた。

⚫︎742年から814年までの71歳の生涯。身長195センチ。ふさふさの銀髪。

⚫︎好きなこと:乗馬、狩猟、水泳、温泉プールで側近達と泳ぐこと。

⚫︎動物の飼育:象、猿、ライオン、クマ、鹿、孔雀、キジ、カモなど宮廷動物園で育てる。

⚫︎好きな食べ物:焼肉、お酒は飲まない。

⚫︎語学:読み書きはしなかった。耳からギリシャ語やラテン語を習得。古代の歴史書など聴いて楽しんでいた。

⚫︎服装:簡素。麻の下着。チョッキとズボンのスーツに革製のゲートルをつけ、靴を履く。

800年12月25日、ローマのサン・ピエトロ聖堂の午前中のミサにて、教皇レオ3世より西ローマ皇帝として戴冠した。これは324年ぶりの西ローマ帝国の復活だった。

晩年、アーヘンをフランク王国の首都と定めた。

⚫︎カール大帝の悲しみ:弟を若くして亡くし、後継の長男、次男に先立たれ、三男が世継ぎとなった。

アーヘン大聖堂、ガイドツアーに参加する(3)

大聖堂から外に出て、周りを歩いているとインフォメーションセンタがあった。

中に入ると、受付がある。ガイドツアーについて訪ねると、2時から英語のガイドがスタートするという情報を得た。宝物館の入場券と合わせて10ユーロだ。 ちょうど2時まで1時間ある。宝物館を見学したあと、英語のツアーに参加することにした。

 

宝物殿はまさしく宝の山。熱心で裕福な信者、貴族たちがカール大帝に贈った品々、宮殿で特注したもの、金細工や宝石でうめられた十字架、象牙彫刻の聖母子レリーフ。大きな宝石が埋め込まれた眩しい金の聖母子像。足元に小さくひざまずいているカール大帝の像。珍しい姿だ。日本では見られない貴重な展示物の数々だった。1時間は短か過ぎたが、集合場所へ急いた。

すでに20人以上の参加者が、集合場所である木製ミニチュアの大聖堂のガラスケースの周りに集まっていた。ここでドイツ語ガイドと英語ガイドのグループに分かれた。

英語ガイドは若くて朗らかなドイツ人女性。始めに、皆さんどこから、来ましたか? と参加者に聞いた。

英国、イタリア、スペイン、ブラジル、アルゼンチン、日本等々。国際的だ。ガイドの説明は専門用語が多く、年代もわかりにくい。特に人名はチンプンカンプンだ。周りの人々もそのようだ。やはりカトリック信者が多いのか、宗教的な質問をしていた。話の合間に少し休みを入れて、皆さんでわかったことをお互いに助け合って説明してください、と気を使ってくれた。

 

 

 

 

 

ツアーでは、一般観光客が入れない祭壇や金の聖櫃の周りや、聖堂2階にらせん階段で上ることができる。1階はすでにツアー前に時間をかけて見学していたので、2度目の見学でさらに目を凝らして見学できた。2階は狭い階段で登り、回廊バルコニー風になっており、1階の聖堂を見下ろすことができる。600年間で30回の戴冠式がこのカイザードームで行われたのだ。祭壇の真正面が見下ろせる大理石の玉座はツアーならではの見どころ。大理石のシンプルなデザインの椅子だった。

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