最終日の朝はゆっくりホテルの庭を散策した。
かわいいエゾリスに出会って至近距離で撮影できた。
リスらしいフォルム、正面からの耳が特別に見える。


枯れ木も混じる庭の低木、ふと見ると、上半身の人間が「いいね👍」サインを出しているようなスガタ。

9時30分をホテルをあとにし、六花亭の自社ビルに寄る。
ひとめぐり号は帯広駅を10時47分に出発、占冠駅、安平町を経て、札幌駅に14時34分に無事到着した。

チーズ、アサヒメロン、競走馬の産地、D51駅でも有名


これまで体験したこと、今の生活を、ちさと姿の見えないタモツさんが語った言葉をつづります。
最終日の朝はゆっくりホテルの庭を散策した。
かわいいエゾリスに出会って至近距離で撮影できた。
リスらしいフォルム、正面からの耳が特別に見える。


枯れ木も混じる庭の低木、ふと見ると、上半身の人間が「いいね👍」サインを出しているようなスガタ。

9時30分をホテルをあとにし、六花亭の自社ビルに寄る。
ひとめぐり号は帯広駅を10時47分に出発、占冠駅、安平町を経て、札幌駅に14時34分に無事到着した。


3日目の朝は8時20分、ホテルを後にしてバスで知床五湖に向かった。五湖のうち、知床一湖をガイドの案内で1時間ほど散策した。


遊歩道は地面から150センチ上に木組みされている。さらに電気ワイヤーが張られており、クマ対策も万全だった。知床半島は世界有数の高密度なヒグマの生息地だ。
この日は11時35分に知床斜里駅を発車。約6時間の列車の旅が続いた。

13時、摩周の豚丼弁当を頂いた。秘伝のタレと厚切りの豚肉は忘れられない味だった。

4時35分頃、池田町近く、車窓から地平線に沈む夕陽を眺めつつ、6時頃、帯広駅に到着、十勝川温泉のある宿泊地、ホテル大平原に向かった。

8時40分に上川駅を後にして、2日目の停車駅は、遠軽駅、網走駅。そして最終駅の知床斜里駅には12時38分に着いた。

遠軽駅でスイッチバック、すなわち座席の向きを変え、車両の進行方向が反対になった。北海道唯一のスイッチバック駅だ。
ビート(てん菜)は寒冷地で育ち砂糖の原料になる。全国では北海道だけで栽培している。あとは鹿児島でサトウキビが砂糖の原料 ー ほうれん草に似た葉っぱが広がっていた。

車内で網走名物の「カニメシ」の駅弁を頂いたあと、バスに乗り換えて斜里町を巡る。
午後の観光船オーロラ号は、天候不良で欠航となった。
オホーツク海は白いさざ波が小さく横に走っていた。大荒れの海ではなかったが、あきらめも肝心。

斜里町のオシンコシンの滝は落差約30メートル。
途中から流れが二つに分かれ、「双美の滝」とも呼ばれ日本の滝100選の一つに数えられている。
つぎに国道244号と334号の一部の全長28メートルの直線道路に上り、はるか彼方まで走る「天に続く道」を眺めた。
最後に日の入りには少し早い時刻、海に沈む夕陽を眺めるスポットに立ち寄る。

予定より早めに宿泊予定のホテル知床にに到着。夕飯前に余裕をもって露天風呂に浸かりながら夕景を楽しんだ。
10月13日から3泊4日で友人と北海道の秋を感じる旅に出た。
全国から166名が参加の団体ツアーだ。JR北海道とJAL、阪急旅行社、3社の共同企画で、2025年は今回で5回目だそうだ。
JALから数名のキャビンアテンダントが列車に乗車し、華やかな雰囲気だ。


明るいパープルカラーの列車が入構してきた。
定刻通り13時3分に札幌駅を発車。
初日の停車駅は旭川、愛別そして最終駅の上川には15時35分に到着。


各ホームで地元のゆるキャラの歓迎と宣伝があった。
愛別駅では、美味しいキノコの味噌汁をいただいた。


バスに乗り換えて途中、名瀑銀河流星の滝に立ち寄り、17:30頃、層雲峡温泉のホテルに着いた。
9月25日念願の軽井沢安東美術館の訪問が実現した。
東京駅から新幹線で1時間、駅から徒歩10分と好立地にあるが、ー日帰りではあわただしい。駅近の宿に一泊して、秋の長野の散策も予定に入れた。観光客は非常に少なかったのが意外だった。

公園右手の散歩道を歩いていると、程なく右側に安東美術館が見えてきた。



戦後に描かれたこの作品、婦人の顔、左手の額装の中の少女、床の猫、いずれも全体像が描かれていない。婦人はベッドのほう、または壁の十字架を見ている。戦後、傷心で日本を離れて渡仏した心情を考えさせる。

戦後少女の絵を多く描いた藤田が珍しく少年を描いている。子供たちの表情は少ないが、生活の一場面で楽しそうだ。

金色の壁をバックの聖母子の作品と椅子があるコーナーは、小さな教会のようだ。

最後はリビングルーム用ソファが置かれてある、家庭的な部屋だ。
出口出たところにフリードリンクやビデオデッキのあるリラックスコーナー、個別のテーブルが備えてあり、優しい心、豊かさが感じられる憩いの場所だった。