閉幕間近の大阪万博に挑戦
9月18日木曜日、大阪万博会場に向かった。
横浜から新大阪まで新幹線を利用し、現地に8時間滞在の日帰りツアーだ。体力的に高齢者にとって大きなチャレンジです。
パビリオンの予約はアクセス数が多すぎて一つも取れない。とりあえず大屋根リングを一周する。あとの行動はノープラン、感覚で会場を歩いた。


初めに大屋根リングの上から会場を一周した。地上は蒸し暑いが、屋根の上はやや強風で汗を乾かしてくれる。
小さな花壇の手入れもよく、緑と海とパビリオンの建築物を楽しめた。道のりは2キロ、1時間で回った。


この日の来場者数は過去最高の23万人。
どこも人が多すぎて万博狂想曲、来場者は忍耐強い。車椅子利用の高齢者や子供も思いのほか多かった。私と同じく猛暑の中、会場の雰囲気を感じに来たのだろう。
日本の55年振りの万博。
多くの人が参加協力して予想以上に盛り上げたと思う。
石破総理の辞職会見に力が抜けた
9月7日日曜日午後6時、石破さんは無念の思いで辞職を突然国民に伝えた。
理由として、8日月曜日の自民党員の全国選挙で、名前明記をすることなどで考えられる内部の分裂を避けたい、と言う。

その日の夜中、2時過ぎに目が覚め、皆既月食が観察できることを思い出した。それから30分くらいシャッターを切りつつ、望遠鏡を覗いた。地球の影が少しづつ月面にかかるのが良く見えた。

石破さんには自民党が今も分裂している党内がさらに分裂しても最後まで頑張ってほしかった。政治空白は石破さんは作っていない、対外国・対米の一年間の石破さんは外交努力を続けた。今回の動きは日本の政局の不安定さを再び印象づけ、間接的な経済効果にも好ましくない影響大に違いない。
足元しか見ない今の自民党内部の抵抗勢力。応援する国民の希望が急速にしぼんだ。
東京国立近代美術館ー戦争画の企画展を訪ねた
9月4日木曜日、やっと酷暑が和らぎ、曇り空になった。竹橋の近代美術館の企画展にて藤田嗣治の戦争中に描いた大作5点を鑑賞する。想像はしていたが、あまりの画力に魂が揺さぶられた。

日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件。4メートルを超えるキャンパスに部下の鎮魂を願う予備役中将の依頼に藤田は答えた。名作として知られている。

シンガポール、ブキ・テマ高原の占領を描いた。陥落直前の市街地から煙が立ち上がる。画面左上から陽光が市街地を明るく照らしている。

オランダ人邸宅に日本兵が踏み込む瞬間を描いた。
テーブルの下に猫が隠れている。


サイパン島で多くの住民はマッピ岬へ追い詰められ、バンザイと叫びながら、海に身を投げた。今はバンザイクリフと呼ばれる。多くの犠牲者は沖縄県出身の移民。藤田はこの集団自決をヨーロッパの宗教画のごとく描いた。
藤田嗣治の戦争画の大作は東京国立近代美術館に無期限貸与されている。企画展は10月26日で終了するが、その後も常設展で見ることができる。
