モンステラ

 

リビングにそびえるモンステラは10年くらい前、高さ10センチ足らずだった。
昨年あたりから「ジャックと豆の木」のように成長が加速し、天井に到達した時は拍手したものだ。去年、50センチほど切って形を整えた。今年も成長が早い。再び天井に届きそうだ。

若い葉はつややかに巻いているが、必ずモンステラの葉になる経過が面白い。モンステラの葉の形は一枚でも複数でも、アートになる。

切り取った葉も他の観葉植物の葉と一緒にコップに生けて、キッチンや洗面所近くに置いて長く楽しめる。

天井に届いた

 

葉っぱを生ける

慰問ライブ

最近はテレビでもユーチューブでも、質の良い貴重な作品が無料公開されている。コロナの影響で家で過ごす時間が多くなった。メディアの営利目的としない計らいだろう。ありがたいことだ。

今朝、ある歌の歌詞をユーチューブで検索していたら、桑田佳祐のライブが配信されていた。20年くらい前の映像だろうか、フジテレビの企画で網走刑務所慰問ライブを行なった時の記録。そのドキュメンタリーとライブ映像30分に見入った。珍しい内部の雑居房の様子、食事を作る受刑者たち、所長とのインタビューも入っている。

ライブ中も言葉の使い方が天才的だと言われるのがわかる。受刑者700人を前に
「シャバはいいぞ〜。」「ハワイは暖かいぞ〜」なんてトークしている。
「お勤めご苦労様です。」は会場を沸かせた一言。

選曲も当然選び抜かれている。
「春のからっ風」に始まり、「さらば恋人」「花」「ツナミ」「祭りのあと」「Stand by me」と続いた。

ライブの後、塀から外に出て雪でおおわれた知床半島をバックに「知床旅情」を野外で熱唱しているシーンもある。ライブの後で声が少し枯れているのは珍しい。外気が冷たく低い気温だと言葉も発しにくい。桑田くんは暖かい。

 

 

 

 

橘の木と老尼

NHKのラジオに古典講読の時間がある。先日、鴨長明の発心集の中から興味深い、ユーモラスな説話を紹介していた。

時代は平安後期から鎌倉時代。長年仏教を信じ修業を積んできた尼さんがいた。終末が近くなり、重い病で湯水も喉に通りにくい状態で病床に伏せていた。あと何日の命という時、隣の庭の橘の実が美味しそうに実っているのが気になる。是非とも死ぬ前に食べたい。家人が隣の僧侶に少し分けて欲しいと頼みに行くと、むげに断られた。

病床の老尼は激怒。たかが2個3個の橘の実も分けてくれないとは。今まで極楽浄土へ行くべく精進してきたが、今となっては生まれ変わって虫になり、あの橘の実を食いつくそう。隣の僧侶を恨みながら、この世を去った。さて、くだんの僧侶は熟して美味しそうな橘の実を食べる。するとその中には1.5センチほどの白い虫がいた。他の実を食べるとそこにも虫が、結局全ての実は虫に食い尽くされていた。毎年同じことが起こり、橘の木は切り倒された。

こんなあら筋だった。

多くのテーマがこの説話に含まれている。単に食べ物の恨みは恐ろしい、だけでない。臨終の介護を経験した人はこの老尼の無念さをより理解できる。小さな親切は惜しまないのが良い、という教訓も強く感じる。

 

小さな蜘蛛

今朝、リビングの床に小さな蜘蛛が立ち止まっていた。
最近は見かけなかった。小さい家の蜘蛛は私にとって四つ葉のクローバーだ。特に朝の蜘蛛は金運がよくなると言われる通り、実感する。収入が決まっていた会社員の時でも臨時収入が8割の確率で現実化し、不思議だと思っていた。

したがって家の中で出会う蜘蛛には自然と好意的になる。
以前、部屋の壁に小さい蜘蛛を見つけ、おはよう、などと声をかけていた。その蜘蛛は我が家に3ヶ月近くも滞在したのだ。いなくなったかな、と探すと目が止まった方向や場所にいる。あちらも警戒心が段々取れていったのか、なんと私の肩に飛び乗ったりしたことがあった。この話を友人にすると、にわかに信じられない、と言われた。私も珍しい行動だ、と思う。

蜘蛛は嫌われることが多いが、害虫ではない。どちらかと言うときれい好きだ。そして謙虚で臆病だ。人が歩くとさっと道を空けてくれる。逃げられないとわかると死んだフリをする。床の埃や小さな虫を食べているらしい。しかし蜘蛛は体内が空っぽになって食事をするので排泄物はほとんどないのだ。

昔、中国で読解困難な書の掛け軸があった。するとそこに蜘蛛が現れて、字をなぞり、その意味が理解できた、という伝説を聞いたことがある。
蜘蛛は神秘的で謎が多い昆虫だ。

 

命の水

急に暑くなってきた。マスクをして歩いていると汗がこもってくる。

今の時期は病院に行くのはいつも以上に避けたい。健康管理にはいつも以上に気を付けたい。特に胃や腸に負担をかけず、足元には注意し、医療関係者のお世話にならないように心がけている。

二ヶ月くらい前にたまに行く眼科受付から電話があった。何事?と思ったら、ドライアイ用の目薬の処方箋を必要なら出します、というお知らせ。薬だけなら電話で頼めるようになった。便利だ。民間組織は変化に対応が早く、新しい工夫をし、人々は勤勉だと改めて思うことが多い。

以前は水分を多く取れなかった。健康のために1日2リットル飲むのが良いと言われても、なかなか飲めなかった。しかしお水は大切だ。母がベッド生活になった時、いつもお水、お水と飲んでいた。夏は氷を入れると、お水が一番おいしいと言っていた。最後に発した言葉も、お水〜だった。晩年はお水を飲むことが難しくなってかわいそうだった。そのため私も昨年から水をよく飲むようになった。喉が乾かなくても無理なく1日2リットルは飲んでいる。

たくさん水を飲むことは認知症や脳梗塞の予防にもなるそうだ。病院や介護施設でも気にかけている項目だ。

 

パスポート (3)

空を飛んだ夢をみた経験のある人は意外に多いと聞く。現実の体験と夢の関係。これは学問的に細かく体系づけられていないので、雲をつかむような話だが、海を超えた人が空を飛ぶ夢を見ることは多いと思う。それはまた現実となるかもしれない。一生の間に1回しか海を渡らない人も、何回も往復している人もまた思い出すのである。あの感覚が帰って来るのである。自分は旅人だったと。

その時はもうパスポートはいらない。法的な手続きも夢の彼方へ押しやられたように。ふと足元を見ると大地が見えない。大海原が広がっているが怖くはない。足の力は抜き切っている。ただ浮かんでいるようだが、先に進もうとすると進み終わっている。どこに力が働いているのだろうと思った瞬間、力は前を走っているのに気がつく。自分を動かす動力が自分の前に広がっている。その中で力を抜いた自分が力まかせに動いている。不思議なことに目の前の力にまかせているのに、自分の意思とぴったり一致している。とても気持ちが良い。

こんな世界を体験したら、人はどう変わるだろうか。

 

 

パスポート (2)

陸路の旅と違っている点は、足が大地から離れるというところにある。長時間足が大地から離れる経験をするには、海を超えて海外に行くしかない。足が大地についていない状態は、昔、そして大昔は考えられなかった。船と飛行機の発明により、人間はこの体験ができるようになった。この新しい経験が人類に与えたものは大きい。それは単に便利さだけではなく、感覚の世界にも影響を及ぼした。自分は旅人だったという感覚は、旅が終わると同時に消え去ったように思えるが、それは後に続く日常生活の中で顔を出す。

「私は地を離れた。いっときでも地を離れた。今ある生活は地についた生活だが、また再び地を離れる時がくるだろう、そして羽ばたくだろう。渡り鳥のように」
ある人はこのように考えるかもしれない。

多くの人は海を渡った経験は忘却の彼方へ押しやり、こんなことは考えないかもしれない。少なくとも本人は認識しないだろう。しかし寝ている時はどうだろう。空を飛んでいないだろうか。

 

パスポート (1)

日本国民のうち、どのくらいの割合でパスポートを所持しているのだろう。これは統計を調べればすぐわかるだろう。すでに無効になっているパスポートもたくさんあるだろう。現在有効のパスポート所持者の数はわかるのだろうか。これは日々変わる統計なので、記録していないかもしれない。しかし私は少し興味を持った。現在どのくらいの人が外国に行ける可能性があるのか、最大数がわかる。パスポートを所持していなければ、外国へ行きたいと願っても法的に不可能である。

日本人が海外に行く場合、必ず海を超えなければならない。言葉が示す通り海の外に出るのである。外国の人にとっては島国でない限り、陸路で行く外国もある。海を超えないで行く外国を持つ国は数多い。海を超えて他の国に行く、この体験は貴重なものである。一生この体験をしない人々も多いが、この体験を経験するとある感覚が生まれてくる。これは蘇ってくると言ったほうがいいかもしれない。その感覚は自分は旅人だったという感覚である。海を渡ることにより、渡り鳥のように旅をする自分を感じるのである。

絵に描いた餅

「絵に描いた餅」と聞いた時、餅の形はどんなふうに想像するだろう。
いちばん多いのが、お正月のお供えの段々重ねの餅だろうか。
ある人は長方形の切り餅を思うかもしれないし、自分の好物のみたらし団子を考える人もいるだろう。おそらく形からすぐに餅とわかる、美味しそうな絵を描くだろう。中には何も描かずに餅の一部を表現しました、という人もいるかもしれない。

実はこれは私が描く餅の絵である。餅の輪郭は絵の外にある。そのような絵が可能なのもふつうの餅は白紙と同じ白色だからだ。この場合、絵に描いた餅は形がないとも言える。絵に表現したとしながら、その形は見る人の想像に任せるという、不思議な絵になる。

一般に「絵に描いた餅」は食べたくても食べることができない、すなわち役に立たない、現実のものでないこと、という意味で使われている。ここに今一つ別の意味を加えると、どうにでもなる存在、という定義はどうだろう?

自由自在になる、しかも形まで自由にできるもの。ふつう自由になるのは形以外のものだが、絵に描いた餅はその存在の輪郭さえ自由になる代表として考えてみた。そのような具体例が他にあるのだろうか、と思われるかも知れないが、この餅は万人が持っている餅とも言えると思う。

絵からはみ出た輪郭は一人ひとりが想像してよい部分である。
それを毎日行いつつ人は生きてる、と言えないだろうか。

がまんの長さ

安倍首相によって緊急事態宣言が5月31日まで延長された。
ニュースや身の回りの状況で判断すると正常化するまで1年はかかるのではないか、と思って覚悟を決めている日々だ。

2週間で緊急事態が解かれると期待していた人々は脱力感が強いだろう。
1ヶ月をみている人は割り切って、工夫しながら生活に向き合い始めている。

5月1日の朝日新聞の朝刊に、佐藤優氏の「私のおこもり術」という記事があった。佐藤氏は元外務省職員、今は作家であり講演活動などに活躍している知の巨人である。何十年前かキリスト教関係の月刊紙「ミルトス」でやさしいヘブライ語の記事を執筆していた。その頃から何となく親しみを感じ、横浜で行われる定期講演会に総括的な政治の話を聴きに行くこともある。

佐藤氏は国策捜査で拘置所暮らしを経験していた。この記事によると2005年5月から512日間拘置され、朝7時から夜9時まで3畳の部屋に座って過ごした。本は3冊まで所持できたそうだ。

改めて普通の人が遭遇しない経験をされた事実を思い出した。今は普通に精力的に活動されている。強い、すごいと思う。人間がすごいのか、佐藤氏がすごいのか? 多分両方だろう。

 

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